16世紀のメキシコでの聖母出現である「グアダルペの聖母」(グァダルーペの聖母)について、ご紹介したいと思います。
1.最初のご出現――1531年12月9日(土)夜明けごろ
1531年12月9日の夜明けごろ、メキシコの首都メキシコシティ近郊、グァダルーペ村にあるテペヤクの丘のふもとを、インディオのホァン・ディエゴ・クアウトラトアツィン(1474~1548)がミサに与ろうと町に向かっていました。57歳のホァン・ディエゴは一介の農民でした。
丘のほうから彼に親しげに語りかける声が聞こえ、見ると虹の形をしたまばゆい雲の下に、美しい貴婦人が立っていました。貴婦人は、先住民族である彼の母語・ナワトル語でこう言われました。
「私の小さな息子、もっとも愛する者よ、私は、人類の創造主、命の与え主である唯一の、偉大な、真の神の母、永遠に完全なるおとめ、聖母マリアです。
この丘のふもとに、聖堂を建てて下さい。ここから私は、貧しい人、苦しんでいる人を助けたいのです。私は、愛といつくしみをもってすべての人を守り、人びとの嘆き、悲しみや、その願いに耳を傾けましょう。司教さまに、このことを伝えて下さい。」
ホァン・ディエゴはその言葉に従い、ファン・デ・スマッラガ司教(フランシスコ会)に伝えましたが、司教はまったくそのことを信じてはくれませんでした。
2.2回目のご出現――1531年12月9日(土)午後5時
その日(12月9日)の午後5時ごろ、テペヤクの丘に戻ったホァン・ディエゴは、自分では司教様に信じてもらえないので、ほかの者を使者として下さるよう、聖母に願いました。しかし聖母はホァン・ディエゴにもう一度司教に伝えるよう願われます。
「私の小さな息子、もっとも小さな子よ、私の願いの実現には、絶対にあなたの仲介が必要なのです。明日また司教に会いに行って下さい。そうすれば、彼は私の意向をはっきりと理解して、私が望むとおり聖堂を建てることでしょう。」
3.3回目のご出現――1531年12月10日(日)午後3時
テペヤクの丘のてっぺんで、ホァン・ディエゴは「司教様が信じて下さらない」と聖母に訴えました。2度目に聖母の望みを伝えに行ったとき、司教は聖母が出現されたというのなら、なにか証拠を持ってくるようにと言ったのです。
聖母は明日もう一度この場所に来るようホァン・ディエゴに答えられました。
「私の小さな息子、愛する子よ。明日もう一度ここに来て、司教が望む証拠を持って行きなさい。そうすればすぐに彼は信じ、あなたを疑うことはないでしょう。」
しかしホァン・ディエゴの叔父が病気になってしまったため、叔父に付き添っていたホァン・ディエゴは翌11日に丘に来ることができませんでした。叔父の病状がとても悪くなり、付いていなくてはならなくなったからです。
11日の夜、叔父は危篤状態となり、その最後の告解や終油の秘跡(現在の、病者の塗油)のために、ホァン・ディエゴは司祭を呼びに行かなければなりませんでした。
4.4回目のご出現――1531年12月12日(火)早朝
12日早朝、聖母が望まれた日にテペヤクの丘に行けなかったことを後ろめたく思ったホァン・ディエゴは、テペヤクの丘近くのこれまでとは別の道を行こうとしていました。しかし、そこに聖母がお現われになりました。
その時ホァン・ディエゴは知りませんでしたが、聖母は叔父のもとにもご出現になり(5回目のご出現)、その病気を治して下さっていたのです。
聖母にどこに行くのか尋ねられたホァン・ディエゴは、叔父のことを話して昨日丘に来られなかったことを謝りました。聖母は優しく叱られました。
「愛するホァン・ディエゴ、あなたを悲しませたり、怖がらせたりすることは何もありません。心配いりません。心配することも恐れることもないのです。
あなたの母である私がここにいますよ?(¿No estoy yo aquí que soy tu madre?)
あなたは私に守られています。私の腕の中にいるのです。これ以上、必要なものがありますか。
あなたの叔父さんの病気はもう治っています。安心しなさい。」
そして聖母はホァン・ディエゴに命じられました。
「丘に上り、そこに咲いているバラの花をつんで司教に持って行きなさい。」
ただでさえ岩だらけの丘に、しかもこの寒い12月に、花など咲いているだろうか? そう思いながらテペヤクの丘に登ってみるとそこには花が咲き乱れていたのです。その中にはバラも咲いています。ホァン・ディエゴは知りませんでしたが、そのバラはまだメキシコには入ってきていない、スペイン・カスティーリャ原産のバラでした。
ホァン・ディエゴは来ていたティルマ(サボテンの繊維で織られたマントのような上着)に花を包むと、司教様のもとへと持ってゆきました。
「私のもっとも小さな、愛する息子よ、これらの花を司教のもとに証拠として持って行きなさい。私はあなたに、使者として、絶対の信頼を置いています。司教のもとに行き、これを見せなさい。そして私の言葉、どのように指図したかを確かに伝えなさい。そうすれば、彼は納得し、聖堂を建てるようにとの私の望みがかなうことでしょう。」
12日の正午、平和に満ちた心で司教館に着いたホァン・ディエゴは、司教様の前にティルマを広げました。すると、バラを含む色とりどりの花々がよい香りと放ちながら床にあふれ、同時にティルマには聖母の尊いお姿が現われたのです。
5.5回目のご出現――1531年12月12日(火)早朝
これはホァン・ディエゴの叔父ホァン・ベルナルディーノへのご出現です。
危篤状態の彼のもとに聖母がご出現になりました。聖母はホァン・ベルナルディーノの病気を癒すと、その奇跡的な治癒について司教に報告するよう言われました。そして、「グァダルーペの聖母」という称号で皆に知られることを望んでいると告げられました。
6.さいごに
現在、テペヤクの丘には壮大な大聖堂が建てられ、その中には、ティルマが掲げられています。ホァン・ディエゴのティルマ。出現された「グァダルーペの聖母」のお姿が映っているティルマが。本来20年ほどで傷んでしまうティルマですが、500年近くたった今も美しい聖母の姿を私たちに示し続けているのです。
後日の調査により、ティルマに映った聖母の瞳には、ティルマを開いた瞬間のホァン・ディエゴや司教の姿が映っているといいます。
また、ティルマに描かれた聖母のマントには星がちりばめられていますが、描かれてる46個の星は、ティルマに聖母の姿が映された1531年12月12日の当日の配置のままに描かれていました。
教会認可:1555年 ( Alonso de Montúfar メキシコ大司教。第1回メキシコ司教評議会にて「テペヤクの聖母への信心を強めよう」と決議。間接的にご出現について承認)
教皇レオ13世による教会法上の戴冠式: 1895年
ホァン・ディエゴ・クアウトラトアツィンの列聖:2002年 (聖ヨハネ・パウロ2世教皇)
= 関連サイト =
・ グァダルーペの聖母大聖堂公式サイト: https://virgendeguadalupe.org.mx/
= 関連記事 =
・ フランシスコ教皇様、「グァダルーペの聖母の記念日」の自宅での全免償を認可 (2020/12/10)
・ 2020年12月12日のグァダルーペの聖母大聖堂でのミサ (2020/12/13)
= 関連聖品 =
・ グァダルーペの聖母のメダイ [WEBショップ]