パパ様、「塵に返っていく」の希望的側面に言及(2012年2月22日の教皇様のミサ説教より)

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灰を受ける教皇様
2012年2月22日(灰の水曜日)教皇ベネディクト16世は、1979年に前教皇ヨハネ・パウロ2世が復活させた伝統的典礼である「回心の行列」を聖アンセルモ教会から聖サビーナ大聖堂まで行われた後、大聖堂にてミサを捧げられました。以下はその際のお説教の要約です。

(Zenitの原文記事はこちらです PONTIFF NOTES HOPEFUL ELEMENT IN "TO DUST YOU SHALL RETURN"

(訳:いつくしみセンター)

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教皇ベネディクト16世は、陰鬱にも聞こえる灰の水曜日の式での文言「あなたは塵であり、塵に返っていくのです」について、これは謙遜への招きであるだけでなく、救いへ至る道を宣べ伝えるものだと言われました。

創世記において神がアダムとエバに言われた言葉をもとに、教皇は説教されました。

「神は人間に『おまえは塵であり、塵に返るのだから!』(創世記3・19)と言って罰されますが、同時に救いの道を告げようともしておられるのです。それはまさにみ言葉がそのはかない『塵』と『肉』の形をとって人となられたことで私たちに与えられた、救いの道です。」

「創世記の文言が灰の式で取り上げられるのは、この救いの望みに適っているからです。
回心への招き、謙遜への招き、人は不死ではないことに気づくための招きであり、絶望のうちに終わることではありません。
むしろ命に限りあるこの私たちが、神との想像もできない密接な繋がりへと迎え入れられることなのです。神は私たちに、死を超えて、楽園を取り戻して復活する道を開いて下さいます。」

また教皇様は、「おもに神ご自身の本性」から来る赦し可能性について話されました。

「神の御子によって、神は人性を共にしようと望まれましたが、罪の汚れは別です。そして、御父は聖霊の力により御子を高く上げ、イエスを新しいアダムとなさいました。聖パウロが『自ら生かす霊』(Iコリ15・45)と言っている通り、新たな創造の初穂とされたのです。」

教皇ベネディクト16世は、私たち皆が「まことの故郷」への道を見つけるように、との祈りで締めくくられました。

「エデンからアダムとエバを追放された神は、御子を罪に荒廃した地上へと送られました。
放蕩息子であるわたしたちが悔い改め、そのいつくしみに贖われて、まことの故郷へ帰って来てくるために、御子を惜しまれませんでした。
わたしたち一人一人、すべての信者、自分には救いが必要だと謙遜に認めるすべての人が、まことの故郷へ帰ることができますように。


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