ミサを捧げる司祭も、それに与る信徒も、典礼の言葉やしぐさに込められた神への愛を思いながら、共にミサを捧げていきたいですね。ミサを、主を囲む食卓としてだけではなく、主の贖いのみ業に感謝しながら信仰を深めていただく時間とすることができますように。
2011年10月28日に行われた教皇様司式の典礼の儀典長であるグイド・マリーニ師へのCNA(Catholic News Agency)のインタビューを翻訳してお届け致します。
教皇様司式の典礼の儀典長であるグイド・マリーニ師は、教皇ベネディクト16世はミサを捧げるにあたり、細かなところまで配慮することを愛しておられる、と語りました。
2011年10月28日、マリーニ師はCNAに次のように語られました。(訳注・以下はマリーニ師の語った内容の抜粋です)
教皇は「キリストの神秘を祝うものとして典礼を発展させる」ことに大きな関心を払っておられます、そして、「典礼は教会が捧げる最も素晴らしい賛美だとしばしば言われます」。
教皇は感謝の祭儀(エウカリスチア)の間に十字架について黙想することはとても大切なことだと信じています。
教皇ベネディクト16世がミサを司式するに当たり、「外観上最も大切なことの一つは、祭壇上の十字架が真ん中にあるかどうか」です。聖変化の瞬間、全員が「すべての人の救いのために愛の生贄を更新されるため中央におられる方、主に対して」目と心を向けることが極めて重要だからです。
私は教皇が挙行するミサにどのように与るべきか気づきました。ミサは、信仰を強める絶好の機会なのです。「ミサに与る際、心の内で思っています、『私はキリストの代理者の傍らにいるのだ』と。そのようにして信仰を新たにしているのです」。
司祭はいかに典礼が「多くの些細なことから」成り立っているか注意を払うべきです。聖体拝領の際ひざまずくこと※、しかるべき時に沈黙すること。このような細かなことに注意を払うことは、ミサを主との真の会話とするために重要なことです。
「参加者が神を感じるよい助けとなるため、賛美の心を持つのを助けるために、典礼中すべてのことに注意しています」。
「主が真ん中におられる」「キリストの神秘に与ることは真に意義あることだ」と断言するために、細かなことに注意を払うことは極めて重要です。
神は「まことに偉大な典礼の主役です。そして、キリストの福音、主の福音に結ばれた尺度において参加者は本物になるのです」
(※ 訳注・聖体拝領について、日本では、ひざまずくか立ったままか、拝領する人が選ぶことができます。立って拝領する場合は、ご聖体に対する崇敬の念を表すため、司祭の前に出る前に一礼するよう求められています)