教皇ヨハネ・パウロ2世 アルスでのお説教-「司祭年」ミニ特集


特別年「司祭年」(2009年6月19日~2010年6月11日)が祝われています。これは、アルスの聖なる司祭聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネの帰天150周年を機に祝われるものです。
そこで、1986年に教皇ヨハネ・パウロ2世がフランス・アルスに巡礼された際のお説教をご紹介いたします。

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教皇ヨハネ・パウロ2世 フランス司牧旅行における、アルスでのお説教

1986年10月6日(月) アルス(フランス)

1

聖ヴィアンネ「イエスは町や村を残らず回られた」(マタイ9・35)。このように、イエスは聖地でのメシアとしての使命を国境を超えることなく行われました。それにつづけて、イエスの使徒たちが福音を「地の果てまで」述べ伝えました。救い主は「いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)とかれらに言われました。かれらが福音を伝えたところには、主もともにおられたのです。

時折この実存――救い主キリストの実存――は、特別な方法で感じとることができました。そして、福音宣教した世界の大きな地図において、ある村が特別に光を放っています。

それはこの村アルスで前世紀に起きたのです。ヨハネ・マリア・ヴィアンネ司祭はここで聖職を完遂しました。少しずつ、フランス全土ばかりか他の国ぐに、世界のいろいろな地域からアルスの司祭に会いにやって来ました。かれに近づき、神の愛について語る言葉を聞き、いやされ、罪から解放されようと人びとは訪れました。その死後新たな段階に入りました。教皇ピオ11世は「全世界の司祭の保護の聖人」と宣言しました。そして今日、さまざまな国からかぞえきれないほどの司祭たちが集まってきています。そうです、司祭をとおして、このフランスの一角に存在されたのはキリストご自身なのです。

2

ヨハネ・マリア・ヴィアンネは「聖なる司祭職を行う」ために、アルスに来ました。それは「聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストをとおして捧げる」(Iペトロ2・5)ためでした。それはまさにいけにえでした。毎日熱意をこめてイエスの聖なるいけにえを捧げました。「すべての善い業を集めても、ミサのいけにえにはかないません。なぜなら……ミサは神の業であるからです」。それは信者に全人生を「自分のからだを神に喜ばれる聖なるいけにえとして」(ローマ12・1)捧げるようにと招きました。同様に「司祭は毎朝自分自身を神にいけにえとして捧げるのですから」と言っています。ヴィアンネは全生涯を、祈りのうちに常に神と一致し、信者への霊的奉仕に身を捧げ、その回心と救いのために秘かに個人的な償いを捧げることに費やしました。人間にできる限界までキリストに倣おうとしたのです。そしてヴィアンネは単なる司祭ではなく、イエスのようないけにえ、捧げものとなったのです。  ヴィアンネはイエスは「生ける石」であり、――キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに――すべての人もまた「霊的な家に作り上げられる生ける石」(Iペトロ2・5)とならなければならないと理解し、はっきりと宣言しました。

フランスには、親愛なる兄弟姉妹たち、天才的な芸術家たちがたしかな感覚で神の実存のために外面的には鈍い石から作り上げた多くの教会、華麗な聖堂があります。ヨハネ・マリア・ヴィアンネはこれらの教会のすばらしい伝統に実りをもたらしました。その時代のスタイルで小さな教会を飾り立てることによって、建物を神の栄誉にかなったものにし、人びとの祈りを助けました。しかしながら、聖なる司祭がその最初の手紙で言っているように、これは外面的なものを「建てる」ためではなく、一人ひとりを「霊的神殿」とするためでした。

霊的神殿はあらゆる洗礼を受けた信者だれもが与っている聖なる共通司祭職の「生ける石」によって建てられなければなりません。そしてこの司祭職はただ一つの源に基づくものなのです。それは、イエス・キリストです。

3

イエス・キリスト! ヨハネ・マリア・ヴィアンネはアルスに来て、小教区民に私たちの信仰の基盤であるものを告げ知らせました。それこそ、イエス・キリストです。神によって選ばれた隅の親石。だからこそ、それは、すべての人の永遠の救いの神殿であり、救われた民「あがなわれたすべての民」(第3奉献文)が一致する神殿なのです。

同時にこの神殿は、神の栄光の神殿でもあります。人を黙想するように招き、その一部となるべきであり、リヨンの聖イレネオのすばらしい言葉を借りるなら「神の輝きは命を与えます。それゆえ、人は神に出会う命を分かち合うのです。……神の輝きとは生きている人そのものであり、また人の命とは神が思い描かれたものであるのです」。(『異端反駁』IV20・5~7)アルスの司祭は信仰に従ってこう言いました。「私たちは愛によって、天国でいただく栄光を推し量ることができます。神の愛はすべてのものを満たすどころか満ち溢れています。……私たちは理解するでしょう……イエスはまさに私たちのために行われたと。……私たちひとりひとりが、イエス・キリストの同じひとつのからだを形作っているのです」。

この隅の親石――イエス・キリスト――は人から投げ捨てられ、ゴルゴタの上での十字架刑を宣告されるまでに打ち捨てられました。しかし神はこれを「選ばれた尊い」石とされました。聖書にあるとおり「見よ、私は、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる人は、けっして失望することはない」(Iペトロ2・6)のです。

4

アルスの聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネはこれを信じた人でした。かれは心を尽くしてこれを信じました、司祭職のすべての恵みをもって信じたのです。キリストこそ隅の親石であり、「信じる人は、けっして失望することがない」と。かれは小教区民に信仰のたしかな基礎を築かせました。イエス・キリストこそ救い主であるという確信を与えたのです。「この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じないものたちにとっては『家を建てるものの捨てた石、これが隅の親石となった』のでありまた、『つまずきの石、妨げの石』なのです。かれらはみ言葉を信じないのでつまずくのです」(Iペトロ2・7~8)。

これはペトロの教えであり、アルスの司祭が教えたことでもあります。「救い」という言葉は、しばしばヨハネ・マリア・ヴィアンネの口に上りました。それは信者たち、特になまぬるい人、無関心な魂、罪びと、疑い深い人、救いに背を向ける危険を犯している人、救い主が示された信仰と愛の道に従うことを拒否している人たちに、気づくようにとの常なる呼びかけでした。かれらに地獄に落ちてほしくなかったのです。どんなときも光であり愛である方から離れてほしくないと望んでいたのです。しかし、このようにも付け加えています。「善き救い主は愛に促されて私たちを探しに来られます」。

ペトロとアルスの司祭の言葉は、生まれて40日の幼子イエスを前にしてシメオンが宣言した預言的言葉「倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められてます」(ルカ2・34)の繰り返しではありません。

5

アルスの司祭は、シメオンや使徒ペトロと同じくイエス・キリストを信じています。「ほかのだれによっても救いは得られません」(使徒言行録4・12)。この信仰のゆえに、救いの効果的な業をもたらすようにとヴィアンネは司教から派遣されたのです。

当時小教区民が信仰にあまり関心がないことを告げて、司教は「あの小教区には神への愛がほとんどありませんから、いくらか植えつけてくるように」と忠告しました。ここアルスの人びと、またここにやってきた人びとに対して、ヴィアンネはその言葉と人生を通して、第2バチカン公会議で力強く繰り返されたペトロのメッセージをためらうことなく述べ伝えました。それは「あなたがたは選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」(Iペトロ2・9)ということでした。

そうです。今日ここにおられる皆さん、親愛なる兄弟姉妹よ。あなたがたはこのように尊厳あるものであり、これは洗礼と堅信を受けた信徒としての召命であるのです。「それは、あなたがたを暗闇のなかから驚くべき光のなかへと招きいれてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(Iペトロ2・9)。アルスの司祭はこの光のなかを歩みました。そして、これはすべてのものに備えられた道、「驚くべき光」に召されたすべての人が行くべき道なのです。

第2バチカン公会議は、霊的な行いを通じてキリストの司祭職に与り、証しによって預言職を果たし、王職に奉仕するという、洗礼を受けたものの尊厳と責任について強調しています。「すべての人が聖性に招かれ、神の義によって、同じ信仰を受けた」のであり、「各構成員の品位はキリストにおける再生によって共通、神の子らの恩恵も共通、完徳への召命も共通」(『教会憲章32』)なのです。アルスの司祭は信者に神に愛され、キリストによってあがなわれ、主に従うように招かれたものの尊厳について、どんなときも思い起こさせました。

6

そうです、私たちは招かれています。絶え間なく招かれているのです。光の方へ、暗闇を抜けだすようにと。時にその闇はとても深いものです。霊魂の暗闇、罪の闇。不信心の闇。

百年後の第二バチカン公会議は、この同じ現実に立ち向かいます。そして出会いの道、信じていない人との対話の道、他の宗教者との対話の道を探ったのです。それらを通じて分かったことは、この対話はいつも、先達者パウロ6世のすばらしい表現のとおり、「救いの対話」となりました。

アルスの司祭は、この救いの対話がいかに重要であるかよく理解していました。それによって、その時代に起こったあらゆる問題に立ち向かっていったのです。このような素朴な片田舎で救いの対話を続けたかれに私たちが惹きつけられるのをだれも咎めはしないでしょう。要理教育をした古い椅子、倦むことなくゆるしを与え続けた椅子。

7

まことの救いの対話、驚くべき実りをもたらす対話の困難さには、今日の私たちも困惑するほどです。 この「驚くべき光」がもたらす実りは、人によるものではなく、神によるものです。ゆるしの奉仕職はどんな時ももっともすばらしい贈り物です。この使命に召された司祭を通して、キリストが光を与えて、いやし、ゆるされるのです。キリストがこのように行われるのをアルスの司祭の愛に燃える心がすばらしく手伝っていたのです。その実りは、いつくしみの実り、神のいつくしみ深い愛、「憐れみを受けなかったが」立ち返って「憐れみを受けている」(Iペトロ2・10)ことへの感謝です。人びとは回心しました。罪から解放されて回心したのです。

アルスの司祭はキリストに次のように言いました。「無限の憐みのゆえにいつでもかれらを受けることができると人びとに伝えるよう、司祭たちに知らせましょう」。

ああ、親愛なる兄弟姉妹よ、どれほど驚くべき恵みがもたらされたことでしょうか。罪から解放され、神の愛を分かち与えられ、友情を結び、節制を行い、神の命に再び生かされ、神にあがなわれた人の群れに再び戻るということに。あがなうために十字架に上られたキリストを見つめていますか? 神や兄弟との一致なくしては与えられない霊的な再生であるゆるしを望んでいますか? そのために真剣に準備をしていますか? 司祭にゆるしの秘跡を授けてくれるように頼んでいますか? そのように生き、その尊さを賛美していますか?

アルスの司祭の謙遜な奉仕に感謝しましょう。かれは「神の民」でなかった人を、まことの「神の民」という、キリストという隅の親石の上に生きた石の神殿を築いたのです。

8

教会を築く! これこそアルスの司祭がこの村で成し遂げたことです。回心、ゆるし、しっかりとして気取らない説教を準備することによって、小教区の人びとの人生を、神に結ばれたもの、キリスト者らしい生き方、使徒的な証しと責任感に満ちたものにしていくことができたのでした。

司牧生活の頂点はミサでした。毎回キリストの現存を鋭い感覚で感じながら行いました。しばしば聖体拝領するように招きました。小教区民には祈り、ご聖体を礼拝するようにすばしば教えていました。むしろかれが教会で祈る姿に惹かれて、人びとは祈りに行きたいと感じたのです。

日曜日には礼拝を邪魔するような労働や仕事をしないように気を配りました。中傷される危険を冒しても、福音的なまことの精神、誠実さ、純粋さ、愛とは相いれない習慣や慣習について説教のなかで指摘することによって戦いました。しかし健全な一般的な祝い事については支持していました。

小教区はあっという間に新たになりました。絶え間なく病人や家族が訪れるのを忘れることなく、かれは特に貧しい人びと、「ラ・プロヴィダンス」の孤児たち、指導するもののない子どもたちのことを気に掛けました。そのために少女たちを「ラ・プロヴィダンス」に集めたのです。また父母たちには教育的な責任をもつよう力づけました。慈善事業団体が組織されました。仕事を分担する小教区民の協力者グループを作りました。祈りと、宣教者を助けることを教えました。その当時司教区出身の宣教者聖ペトロ・シャネルについて祈りが捧げられており、かれはオセアニアに派遣されて、1841年にフツナ島で殉教しました。

アルスの司祭は、その時代の方法や必要性に応じて、教会の礼拝におけるさまざまな天職を励ましました。信徒とともに、同僚の司祭、司教、教皇と一致して、神の教会をここに建てたのです。しかし聖霊とともに、イエス・キリストの名によって成し遂げられる司祭の代え難い使命のポイントは、この進歩が始められ、命を吹き込まれて、養われることにあると誰もが分かっていました。

9

それゆえに、キリストはここアルスに立ち止まられたのです。ヨハネ・マリア・ヴィアンネがこの地を清めたその時代に。そうです。立ち止まられました。前世紀、疲れきった男女の「群れ」が「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを」(マタイ9・36)ご覧になったのです。

キリストは善い羊飼いとしてここに立ち止まられたのです。「善き羊飼い、神のみ旨に従う羊飼い」ヴィアンネは言いました。「それは全善なる神が小教区に与えることのできる最大の贈りものであり、神のいつくしみの限りない贈りものでもあるのです」。

そしてこの地で、パレスチナで公に言われたように、キリストはその弟子たちに言われます。全教会に向けて、それもフランスだけでなく、全世界に広がるすべての教会に向けて言われるのです。「収穫は多いが、働き手は少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタイ9・37~38)。

今日、もういちど繰り返すのは、その必要性が非常に高まっており、差し迫っているからです。
使徒たちの後継者、ペトロの後継者である司教たちには、収穫が広がっているのが分かっています。復活の約束はあっても、使徒の働き手なくして魂はうち捨てられてしまうでしょう。

司祭たちは、この必要性に鋭く気づいています。彼らは多くの場所に点在しています。そして司祭職や信仰生活により多くの若者たちが誓いを立てるのを待っています。

信徒は家庭がすべてです。彼らはその信仰を養うため、また彼らの使徒としての生活を奮い立たせるために司祭職を頼りにしています。

子どもたちや若者たちはよく分かっています。イエスの弟子となるために司祭への召出しがあることを。そしておそらく収穫のために主に完全に身を捧げる喜びを分かち合うことでしょう。

私たちは皆、聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネの人生と奉仕を黙想した後で、ここに集まりました。アルスの司祭、収穫の「希有な働き手」が人びとを救ったこの場所に。

収穫の主に乞い願います。
フランスのため、全世界の教会のために祈ります。
働き手を収穫のために遣わしてください!
働き手を遣わしてください!

(訳:いつくしみセンター)

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