聖アンドレ修道士 (2)

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3月は「聖ヨゼフの月」です。
聖ヨゼフの信心を広めたカナダの福者であるフレール・アンドレ(聖十字架修道会)をご紹介いたします。
(※ 「フレール」は「修道士」の意)


その1 その2


偉大な仕事をした人

聖アンドレ修道士この時期、偉大な仕事の準備が進んでいました。オラトリー(礼拝堂)に、ますます人が集まるようになり、初めの小さな建物では足りなくなり、1908年と1910年に広くしました。それでもまだ小さすぎたので、聖ヨゼフの栄誉のためにも、もっと大きな聖堂が必要になりました。
1917年、1000人が入ることができる新しい地下礼拝堂が造られましたが、この場所は、将来のもっと大きな計画の基礎でした。フレール・アンドレは一生涯、聖ヨゼフのために、世界一の聖堂を奉献するために働きました。
けれど、かれはけっして『自分の仕事』について話さず、かえって大勢の人が聖堂に集まって祝うときに、祭壇の後ろに隠れて一人祈っていました。
1931年、大聖堂(バジリカ)を建て始めた時、経済恐慌のため仕事が中止されました。1936年、屋根ができていない聖堂は、雪と氷のために傷み始めましたので、修道会の責任者たちが集まり、その仕事を続けるか、中止するかを話し合い、この席にすでに年老いたフレール・アンドレを呼び、意見を聞きました。フレール・アンドレは、「わたしの仕事ではありません。聖ヨゼフの仕事です。かれのご像を建物の真ん中に置いてください。もし、ヨゼフさまが屋根が欲しかったら、ご自分で心配されるでしょう。」と答えました。
2ケ月後、修道会に建築を続けるために必要な資金が集まりました。

心の広い人

フレール・アンドレは、詰所を訪れる何千人もの人を心から歓迎し、夜も友人と一緒に家庭や病人を訪問して、苦しむ人たちを慰めました。
友人のひとりは、「かれはもちろん心の広い人でしたが、このような力は神さまへの愛がなければできないでしょう」と打ち明けています。また、夜も友人の車で出かけるのは、フレール・アンドレが遊び好きで自分が楽しいからだ、という人もいましたが、フレールは「一日働いた後の病人訪問は、楽しいことではない」と答えていました。
フレール・アンドレは、物事をはっきり判断する人でしたので、次のようにいっていました。
「たびたび人は、わたしに病気を治して欲しいと頼みますが、謙遜と信仰が得られるようにとは頼まないので、驚いています。これこそ、一番大切なことなのに」
「魂が病気なら、まず魂を治さなければなりません。信仰がありますか。神さまはなんでもできるかただということを信じていますか」
「司祭に告白に行きなさい。そして聖体拝領をし、その後でわたしのところに来てください」
苦しみの意味と大切さをよく知っていたフレール・アンドレは、例えば「苦しんでいる人は、神さまに捧げるものを持っています。苦しみを忍耐できるのは、毎日起こる奇跡です。試練から逃げないで、忍耐する恵みを願いなさい」といっています。

神の人

フレール・アンドレから、他人を治す力をもらったという人に、「わたしには、他人を治す力は絶対にない。他人に分けることもできない」と繰り返し強くいっていました。フレール・アンドレは、人びとに、聖ヨゼフの九日間の祈りや油や聖人のメダイでマッサージするようすすめ、愛と謙遜、信仰の徳を示していました。
ふだん、フレール・アンドレは、病気のときには医者のところに行くようすすめ、医者たちには、「あなかがたは立派な仕事をしています。知識は神さまから頂いたものですから、感謝し、祈らなければなりません」といっていました。神は愛である、神はわたしたち人間を愛しておられる、これはクリスチャンの信仰の中心です。
「神の掟に従うとき、神を愛していることが分かります。本当の神の愛をいただくために祈りなさい」
「神は、人間を限りなく愛していらっしゃり、わたしたちの愛を望んでおられます」
フレール・アンドレは、神の愛について上手に話し、会う人たちの心に希望を与えていました。かれのひとりの友人はこういいました。「わたしが病人をアンドレのところに連れていくとき、かれらはいつもなにかに満たされました。ある人は癒され、ある人は亡くなりました。しかし、皆、アンドレから慰められたのです」

天国への道

「天国は、父である神の家に住むことです。神さまのところへ行くために死を望むことなら許されます」「わたしは死んだら天国にいるでしょう。今よりずっと神さまの近くにいるので、もっとあなたがたを手伝うことができます」といっていました。
フレールは、死ぬ少し前に苦痛を現し、「神よ、神よ、わたしはとても苦しんでいます」といい、聖書の言葉を思い出して、弱い声で「ここの種が……」とつぶやきました。「もし一粒の麦が地に落ちて死なないなら、ただ一つのまま残る。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)
フレール・アンドレは、生涯を信仰と愛のために生きました。友人のひとりは、「かれは一生を通して人びとを神さまに取り次ぎ、神さまのことを人びとに話していた」と証言しました。かれの生涯は、すべてが祈りであり仕事であって、区別することはできませんでした。1937年1月6日、92歳で亡くなりました。どの新聞もニュースによって、百万以上の人びとが遺体に別れを告げに来た、と書いています。かれの遺体は、モン・ロワイヤル山の上にあるオラトリーの中に安置されています。フレール・アンドレは、キリストの信仰の生きた手本です。かれが神の恵みによって生きたように、わたしたちも同じ恵みによって生きることができるでしょう。


その1 その2


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