70件目のルルドでの奇跡的治癒についてご紹介したばかりですが、71件目の癒しがイギリス・リバプール大司教によって宣言されました。70件目が2018年の出来事なのに対し、この71件目の癒しは1923年、実に1世紀前の出来事です。
少し変則的な発表となったのは、ルルド医療局の報告が、長年埋もれてしまっていたからなのです。
2024年12月8日にリバプール教区のマクマホン大司教が、「1923年にリバプール教区で最初のルルド巡礼において起きた、第1次世界大戦中に重傷を負ったジョン・ジャック・トレイナーの癒しが神からの奇跡であったと認め、ルルドにおける71件目の奇跡的治癒である」と発表されました。
ジョン・ジャック・トレイナーは、1883年生まれのイギリス人で第1次世界大戦に参加しました。その中で、1914年10月8日にベルギー・アントワープ近郊で負傷し、1915年5月8日には、ガリポリ(現在のトルコ)の戦いで機関銃の掃射を受けました。
帰国後受けた数々の外科手術は成功せず、右腕の完全な麻痺と重度のてんかんに悩まされることとなりました。1920年にはてんかんを治そうと開頭手術を受けますが、両足の部分麻痺を引き起こしただけでした。
そのため、トレイナーは「治る見込みのない患者向け病院」に入院する予定になってたのです。
そんな折、リバプール教区としての第1回ルルド巡礼(1923年7月22日~27日)が企画されました。妻や主治医、教区の司祭たちは、トレイナーの体を心配し、散々巡礼旅行をやめるよう説得しようとしましたが、ルルドに行きたいという彼の意志は固かったのです。
巡礼初日から、トレイナーの体調は最悪でした。それでも合計9回ルルドで沐浴することができたと後に書いています。
23日には沐浴場へ行く途中にひどいてんかん発作が起きました。心配した医者がホテルに戻ろうとするのを、トレイナーは動く右手で車椅子を押さえて抵抗し、ルルドの水に浸かることができました。振り返ってみると、その日以降、てんかんの発作はなくなったのでした。
24日、再びルルドの水で沐浴すると、麻痺していた足が激しく震え出しました。彼の世話係は、またてんかんが起きたと思いながら、予定していたとおり大聖堂1階のロザリオ聖堂に彼を連れて行きました。その聖堂では、ランス大司教がご聖体で参加者を祝福していたのです。ご聖体が彼の前を通った瞬間、今度は彼の麻痺していた右手が激しく震え、そして、十字架のしるしをしたのです。実に8年ぶりに十字を切ったのでした。
25日の朝、トレイナーは飛び起きるようにベッドから出ると、ルルドの大聖堂まで走ってゆき、感謝の祈りを捧げました。
「マリア様に特別尊敬の念を示したいなら何かお献げしなさいと、母からよく言われて育ちました。妻や子供にメダイを買っていたので、もう献金できるお金は持ち合わせていません。そこで、自分にできる唯一の犠牲をお献げしました。タバコをやめたのです。」
27日、ルルド医療局の医師たちによる診察の結果、完全に歩行能力が戻り、足と右腕の麻痺がまったくなくなっていることが分かりました。戦争で受けた体中の傷も治っており、開頭手術の傷もかなり小さくなっていました。
1926年7月7日、ルルド医療局によって記録された奇跡的治癒であるとの宣言がなされました。
ところがこの宣言は長くルルド医療局の書類の中に埋もれていました。
2023年、リバプール教区ルルド巡礼100周年記念のこの年、改めて調査が行われた結果、1926年12月にルルド医療局の医師の一人が出した報告書が見つかったのです。その報告書には、「この治癒は、完全に自然の力を超越したものである」と書かれていました。
これを受け、2024年12月8日リバプール教区のマクマホン大司教は、1943年12月8日にまったく別の病気で既に亡くなっているジョン・ジャック・トレイナーの癒しが、ルルドの聖母の取り次ぎによる奇跡であったと宣言したのです。
トレイナーは、ルルドで癒された最初のイギリス人カトリック信者となりました。
= 参照記事 =
・ John Traynor, 71st miracle at Lourdes (Lourdes Sanctuaire)
・ Healing at Lourdes of British World War I soldier declared ‘miraculous’ (CNA)
= 関連聖品(いつくしみセンターWEBショップより) =