2人の新・教会博士はどんな方?

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ビンゲンの聖ヒルデガルト2012年10月7日(日)、教皇ベネディクト16世は、サン・ピエトロ広場で行われたミサで第13回通常シノドス(世界代表司教会議)の開会を宣言されました。
このミサにおいては、新たに2人の聖人が『教会博士』として宣言されました。

新しく教会博士となった「ビンゲンの聖ヒルデガルト」と「アビラの聖ヨハネ」、この2人の聖人がどのような方なのでしょうか? 簡単にご紹介したいと思います。

1.ビンゲンの聖ヒルデガルト(1098~1179)

「彼女は神から与えられたたまものを用い、活発な知性と深い感性と公認された霊的権威を示しました。
主は彼女に預言的な霊と、時のしるしを見分ける熱烈な力を与えました。
ヒルデガルトは被造物への際立った愛を深め、医学、詩、音楽に専念しました。
何よりも彼女は、キリストとその教会への深く忠実な愛を常に保ちました。」
(2012年10月7日 教皇ベネディクト16世「世界代表司教会議第13回通常総会開会ミサ説教」より)

中世の偉大な神秘家の一人であるこの聖女については、2010年9月の一般謁見において、教皇ベネディクト16世が丁寧な解説をして下さっていますので、そちらをご参照下さい。

※このお説教は、 『女性の神秘家・教会博士』(カトリック中央協議会刊)に収められています。

※ その他関連書籍

2.アビラの聖ヨハネ(1500~1569)
アビラの聖ヨハネ

「彼は深い聖書学者であると同時に、熱心な宣教精神をもっていました。
彼はキリストが人類のためになさったあがないの神秘を独自のしかたで深く究めることができました。
神の人であった聖ヨハネは、絶えざる祈りを使徒的活動と結びつけました。
彼は、説教と、秘跡をしばしば授けることに献身しました。
教会の実り豊かな改革のために、司祭志願者と修道者と信徒の養成の改善に集中して取り組みました。 」
(2012年10月7日 教皇ベネディクト16世「世界代表司教会議第13回通常総会開会ミサ説教」より)

アンダルシアの使徒』と呼ばれるスペインの霊性家、説教者のアビラの聖ヨハネ(アビラの聖ホアン Juan de Ávila)は、1894年に列福、1946年スペインの主任司祭の保護者とされ、1970年に列聖されました。

以下はその生涯についての、英語版wikipediaからの翻訳です。

  1. 若いころ、聖職者への歩み

     1500年1月6日(1499年生まれ説あり)、スペインのカスティーリャ・ラ・マンチャ州シウダー・レアル県アルモドバル・デル・カンポにて、裕福で敬虔な改宗ユダヤ人の家庭に生まれました。14歳でサラマンカ大学で法律を学ぶも1年で父の家に戻り、続く3年の間厳格な信仰生活を送りました。

     その聖性はアルモドバルを旅していたフランシスコ会士に影響を受けています。フランシスコ会士のアドバイスに従って、哲学と神学をアルカラ・デ・エナーレスで学びましたが、この時、有名なドミニコ会士であるソトの聖ドミンゴ(ドミンゴ・デ・ソト 1494年~ 1560年11月15日)に師事したのは幸運なことでした。勉強中に父母が死亡したため、叙階後の父母の葬られている教会で初ミサを立て、家財をすべて処分したお金を貧しい人びとに分け与えました。

     海外宣教への使命を感じてしたヨハネは、その妨げとなるこの世でのしがらみがなくなってきたので、メキシコに行く準備をしていました。1527年、セビリアで新たな働きの場を見つけようと好機を狙っていた時、ミサで捧げるその超自然的な深い祈りがセビリアの司祭エルナンド・デ・コントレラスの目に留まりました。彼は大司教兼宗教裁判所長のドン・アロンソ・マンリケ・デ・ララにヨハネのことを伝えました。大司教は若い宣教者がアンダルシア地方の信仰をかき立てる力強い道具となることに気づき、その粘り強い説得により、ヨハネはアメリカ大陸への宣教旅行を断念したのでした。

  2. アンダルシアの使徒

     最初の説教は1529年7月22日に行われ、すぐさま評判になりました。アンダルシアでの9年間の司牧生活中、その説教を聞こうと群衆が教会に詰めかけました。ところが、身分の高い人びとの行いを非難して改めるように呼び掛けた力強い説教のために、セビリアの宗教裁判所に送られてしまったのです。富の危険を誇張し、金持ちに天国の門を閉ざした罪で。その疑いは速やかに反証されて、1533年彼の無実が宣言されました。法廷からの特別招聘により、セビリアのサン・サルバドルの教会における次の大きな祝い日で説教をするよう任命されました。福者ピエドライタ(La Beata de Piedrahita)などといったスペインの神秘家のように、生涯何度も異端のアルンブラドス派(光明派)ではないかと疑いをかけられることとなりました。

  3. スペインの聖職者生活を改革

     アビラの聖ヨハネは、また、スペインの聖職者生活を改革しました。いくつかの大学を設立して、弟子たち自身が献身的に生徒に勉強を教えました。彼の説教と聖性の評判に惹かれて集まった弟子たちの中には、アビラの聖テレジア、神の聖ヨハネ(聖ヨハネ病院修道会創立者)、聖フランシスコ・ボルジア(フランシスコ・ボルハ)、尊者グラナダのルイスなどがいます。特筆すべきは、1538年に教皇ヨハネ3世の教書に基づき設立されたバエサ大学で、ヨハネはその初代学長を務め、大学は神学校やイエズス会学校のモデルとなりました。

     ヨハネは特にイエズス会を尊敬していました。スペインにおいてイエズス会の勢力が伸びたのは、彼によるイエズス会への友情と助けのおかげと考えられています。

  4. その死

     アンダルシアの説教師として始まった使徒職は、30歳まで続きました。セビリアに戻った9年後、コルドバ、グラナダ、バエサ、モンティリャ、サフラと広い地域を巡りました。その死までの40年間、使徒としての忙しい職務をこなす中、病気に悩まされ続けました。1569年5月10日モンティリャで帰天ました。

  5. 聖人に

     1759年、教皇クレメンス13世により尊者とされ、1893年11月12日教皇レオ13世により列福。1970年5月31日教皇ピオ6世により列聖。2012年10月7日教皇ベネディクト16世により「教会博士」の尊称を授与されました。

  6. 著作

     アビラの聖ヨハネの業績はマドリッドにおいて1618年、1757年、1792年、1805年、にまとめられました。フランス語訳はダンディリがパリで1673年に出版。シャーマーによるドイツ語訳はレーゲンスブルクにおいて1856年から1881年にかけて、全6巻で出版されました。

     最もよく知られている『Audi Fili』は、キリスト者の完徳についての最も優れた小冊子のひとつです。『Spiritual Letters』は、弟子たちに宛てた書簡集となっています。


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