【ご報告】2015年2月19日の東京チェナクルムのご報告

去る2015年2月19日、東京チェナクルムが行われました。
この日、ヨキエル神父様がご都合により欠席されたため、パウロ・ヤノチンスキー神父様(ドミニコ会)が司式をして下さいました。

主司式=パウロ・ヤノチンスキー神父様

パウロ神父様と共に、ポーランドから来られた2人の神父様も司式して下さいました。一人は、パウロ神父様の先輩の神父様。もう一人は、パウロ神父様と同期叙階の神父様です。お2人は、この後福島を訪れてから帰国の途につかれる予定です。

たくさんの聖母巡礼地があるポーランドから来られた神父様がたは、特に日本滞在中、温かな微笑みをもって私たちに神の愛といつくしみを伝えて下さることでしょう。

お2人は、それぞれ、1枚ずつご絵を携えて来て下さいましたので、ご紹介致します。

聖ヒアチント(1185~1257。記念日:8月17日)

聖ヒアチント聖ドミニコに会って感動した彼は、ドミニコ会士となりました。
当時モンゴル帝国(元)配下にあったタタール人が攻めてきた時、彼は何よりまずご聖体を持って逃げようとしました。すると、そこにあった聖母像が「私も持って行って下さい」と声をかけたのです。聖ヒアチントは、タタール人からご聖体と聖母像を守って逃げたのでした。
この聖母像は、現在ポーランドにあるドミニコ会の宝物庫に収められており、時々崇敬の会が開かれるとのことです。

ギドの聖母

ギドの聖母1516年、農夫が畑を耕していると、犂を引いていた雄牛が突然ピタリと止まり、彼自身もなぜか膝をついてしまいました。見るとそこには、大石があり、そのコップのようなくぼみの中に、手のひらサイズの聖母像が収まっていました。
恐ろしくなった彼は、その聖母像を持ち返ると、布にくるんで箱の奥底にしまいこんでしまいました。

その後、不運にも、彼と彼の家族は目が見えなくなってしまった。
不幸な彼らに同情して信仰厚い女性が手伝いに来てくれるようになりました。ある時彼女は、箱からいい香りと光が立ち上っているのに気づきました。事情を聞いた彼女は、すべてを教区司祭に話し、聖母像は公的な崇敬を受けることになりました。

そこで像を洗って、教区教会へ捧げることになりました。その際、像を洗ったあとの水で農夫が目を洗うと、たちどころに目が見えるようになったのです。
現在聖母像が見つかった畑には、ドミニコ会修道院の教会が建てられ、この聖母像が収められています。
ギドの聖母は、農家と鉱員の保護者です。
(参考: http://gidle.dominikanie.pl/ [ポーランド語])

神父様が持って来て下さった「ギドの聖母」のレプリカのご像は、ヨハネ・パウロ2世教皇様からいただいたものだそうです。

ギドの聖母像

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