ドイツ人司祭の列福(3・終)


今年2011年6月25日列福式が執り行われドイツ・リューベックの殉教者3人が歩んだ軌跡について、第2回。
3人の列福調査を担当したアンドレア・アンブロシ師による、2人目の福者ヘルマン・ランゲの紹介です。

翻訳:尾崎神父様(オプス・デイ)

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(Zenitの記事はこちらです http://www.zenit.org/article-32954?l=english

 

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[E:clover] エドワルド・ミュラー神父 Eduard Müller

エドワルド・ミュラー神父
4人の殉教者の中で、ミュラー神父は苦しい青年時代を過ごした。
1911年に貧しい家族に生まれた。ノイミュンスターのカトリック学校で勉強した。7人兄弟の末っ子で、父親は家族を捨てて出て行った。大工になるが、小さいときから司祭になりたいという望みを抱いていた。小教区の親切な信者数人の支援のおかげで、中学校を卒業できた。
その後、ミュンスターで神学校に入り、1940年に司祭に叙階。リューベックのみ心教会で司牧に当たる。

神父の落ち着いた優しく謙遜な態度が、当時の証人から高く評価された」とアンブロシ師はいう。
「なかでも、労働者や職人のよき理解者として有名になった。実際自分の育った環境の人びとと心を通わせることは、神父にとって容易なことであった」

リューベックの4人の殉教者の中で、ミュラー神父は最も政治色が薄い。にもかかわらず1942年7月に逮捕された。死刑判決が下った後、こう書いている。「私は自分がけっして騙されていなかったことを確認するだろうと希望している。それどころか、いつも変わらぬ率直な心で、キリストが、私が生きるにつけ死ぬにつけ、キリストが私の愛によって栄光をお受けになることを希望している」と。


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