2014年11月1日(諸聖人の祭日)に行われた「内山神父様黙想会」。
ご報告の第2弾は、ミサ説教の録画です(約17分)。
- 【朗読箇所】
第1朗読 - 黙示録7・2-4, 9-14
「私は、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数え切れないほどの大群衆を見た。」 - 第2朗読
- Iヨハネ3・1-3
「私たちは御子をありのままに見る。」 - 福音朗読
- マタイ5・1-12a
「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
[E:clover] お説教より、抜粋。
「今日は諸聖人の祭日を迎えています。祭日という祝日でも、大きな祝日ですね。そして、諸聖人、いったいどのような人びとを言うのでしょうか。
天国にいる住人は全部聖人なのですよ。ですから皆さんが天国に入りたい、あるいは天国にいるとなれば、皆さんは聖人なのです。ですから聖人ということは、決して私たちと離れた存在ではない。私たちと隔絶した高みにいる人ではない。私たちも聖人にならなければ、天国に入らないし、いや、天国に入るからには、聖人になっているのです。
聖人ということを、現今の社会ではあまり人口に膾炙しませんね。『聖人になる』と言うことはちょっと恐れ多いような、ちょっと恥ずかしいような、言ってはまずいような気持ちにさせられる世の中の雰囲気だと思います。教会の中でもひょっとするとそうかもしれませんね。皆さんがたは、このまずい雰囲気を打ち破って下さい。
聖人になる、聖人になりたい、聖人になるよう努めている、こんな言葉が日常生活の中で皆さんの口から頻繁に出るようになれば、皆さんがたは本気になって聖人を目指している方と見られるでしょう。」
「今日諸聖人の祭日を私たちが祝うに当たって、この天国の報いを、深く心に留めたいと思います。
キリスト信者でありながら、天国の喜びを全然思わない人は、路頭に迷ってくるでしょうね。私たちの最終目的が忘れ去られるのですから。
私たちの最終目的であるこの天国、永遠の至福、神様の顔を仰ぎ見ること。これ第1の至福ですね。神様の命をまざまざと感じ、その幸せをを感じること。それが永遠に続くということ。お互いに愛し合う世界であること。これが私たちを待っている運命、宿命なのですね。これこそ、この知らせを告げるということこそ、福音を告げるということでしょう。
どうぞこの諸聖人の祭日に当たって、私たちが聖人になることを望み、努力していきましょう。
そして、聖人の名前も知らない多くの方がたがいらっしゃいます。罪に汚れながら、全然罪と感じないで、罪にまみれながら滅びていく人もいらっしゃいます。そういう人たちの罪をいつも償い、そして励まし、そして勇気を与え、彼らを天国に目指すように仕向けるのは私たちです。
幸いな方がた、天国の住人。心の貧しい人びと、悲しむ人びと、柔和な人びと、憐れみ深い人びと、心の清い人びと、義のために迫害された人びと。
どうか私たちの生活の中で、その幾分かでも、いつも実現されていきますように。諸聖人を目指すことができますように。
(ごミサを続けて、)さらに諸聖人の恩恵を願いましょう。」