【ご報告】2014年6月12日の東京チェナクルム・ミサ説教(1)


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2014年6月12日に行われました東京チェナクルムで、ヨキエル神父様(イエズス会)がなさったミサ説教を書き起こしました。数回に分けてご紹介致します。

第2回にすすむ)(第3回にすすむ

【司式】ハインリッヒ・ヨキエル神父様(イエズス会)

【ミサ朗読個所】

  • 第1朗読 列王記上18・41-46
  • 福音朗読 マタイ5・20-26
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ヨキエル神父様

今日の福音書で私たちは、イエス様の山上の説教のある部分を聞きました。

イエス様が非常に強調するのは、今までのモーゼが教えた法律・トーラーをなくすんじゃない、ということです。その中には深い意味がある。その深い意味とは、法律によって、神様は何を望んでいるのか、とうことです。

イエス様以前の人びとは十分に分からなかった。だからファリサイ人とか律法学者は聖書を度々簡単に解釈して、特に「実行」(何をしたか)、それだけを見たんですけど、しかしイエス様は「心」を見ています。

今日私たちは、心、聖心(みこころ)のことを考えたいんです。イエス様は、マルガリータ・マリア・アラコックにそれを見せました。その前にも、ドイツのゲルトルードという神秘家に示してくださいました。

イエス様の聖心。私たちはよく「頭」を使うんですね。「頭のいい人」と、人を褒めますね。頭でいろいろなことを勉強します。いろいろなことが分かります。しかし、イエス様は、私たちの心を見ています。

頭のいい人の中には、理性だけで、いろいろなことを習って、たくさんのことを覚えていますけれども、愛がない人がいるんですね。「愛」というのは、ただの気持ちじゃないんです。気持ちにはいろいろな気持ちがありますね。人が好きとか嫌いとか、良い気持ち悪い気持ちがありますね。

イエス様の聖心を見てみますと、イエス様の聖心は愛に燃えています。「愛」、それは「意志」のことです。それは「気持ち」じゃないんです。気持ちは反対しても、意志で人を大事にすることはできます。人を選ぶことができます。人を赦すことができます。それに気持ちがついていくかどうかは別です。度々気持ちはなかなかついてこない。

気持ちは、子供のようなものですね。気持ちが、機嫌が悪くなると、なかなか直らないんです。子供の機嫌が悪くなると、お母さんは苦労してその気持ちを直すようにしなくちゃならない。私たちも自分の気持ちを直すように努力しなくちゃならない、けれども、それには時間がかかります。でも、それでもその気持ちに従うということは、間違いです。「愛」によって生きる。イエス様の心は、やっぱり「愛」です。

第2回に、つづく [E:clover]

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