シリアで働く宣教会修道女へのインタビュー

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過激派組織による悲劇が続いています。とても悲しいことです。
苦しみの中にいる人のことを忘れることなく、平和のために祈り続けなければならないと強く感じます。

戦闘の続くシリアで働き続けている Familia religiosa del Verbo encarnado [受肉したみ言葉の修道会]のシスターにZenitが行ったインタビュー記事をご紹介したいと思います。

尾崎神父様(オプス・デイ)の翻訳でお届けします。

(Zenitの記事はこちらです http://www.zenit.org/es/articles/misionera-en-siria-los-cristianos-aqui-son-un-testimonio-edificante-y-un-desafio

 

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【マドリード、2015年3月2日。(ZENIT.org) 】

現在シリアで働いているシスター・マリア・デ・グアダルーペとのインタビュー
シリアの危機はここ20年で最も悲惨な事件の一つと考えられる
何百万もの人が住処を追われ、21万以上の人が命を失った

受肉したみ言葉の修道会

シリアの現状とはどんなものですか。
ときどきシリアは新聞の見出しから姿を消しますが、その状態はまったく変わっていません。相変わらず衝突が続き、毎日キリスト教徒が死んでいます。過激派組織ISは健在です。しかし、人びとはこの苦しみとともに生きることを学びました。
苦労して医学部4年生の課程を履修している2人の大学生が言っていました。「僕たちはこのような状態の中で学位を取ろうと努めねばならないことを受け入れました。それができることが嬉しいです」と。

4年間続いている戦争の中で、シスターは何をしているのですか。
中東で宣教師として働いている期間、私は最も悲惨な人間の苦しみに出会ったと思っていました。けれど、戦争とは何かをまだ知ってはいませんでした。それは実際に生きてみなければ知ることはできません。愛する人の暴力的な死、毎日死の危険にさらされていること、家も仕事も未来も失って故郷を去ること、恐怖と空腹と寒さと乾きなどなど。このような状態が何年も続いているわけですが、戦争は一つの民族が経験できる最も恐ろしい惨禍です。そして、まさにこのことが私をしてここで働き続けるよう励ますのです。奉仕と献身という私たちの召し出しをこれ以上完全な形で生きる機会はないと思うのです。

あなたたち宣教師は、別の人間ではないかという印象を受けますが……。
もし生まれつきの性格について言われるなら、少なくとも私はそうではありません。私は健康ではありませんし、いつも恐がりでした。「シスター、あそこにいるために何をしているのですか」と尋ねられると、私ははっとします。「そうだわ、私はここにいるために何をしているのだろう」と自問させられるのです。
かつて私の会の姉妹たちが戦争状態にある国に行くのを志願しているのを見て、感心していたのを思い出します。「なんて勇気があるのだろう。私にはできないわ」と。ふと気がつくと、私は4年前から戦塵の最中で生きていて、ここに残ること以外何も考えていないのです。神の恩寵のおかげだと思います。また、多くの人が祈りで私たちを支えて下さっているおかげだとも思います。

アレッポの修道院の仕事はどういう内容ですか。
シリアのラテン典礼(カトリック)の司教様が2008年に私たちの会(受肉したみ言葉の修道会)に司祭の共同体と修道女の共同体を派遣するよう頼まれました。それはアレッポの司教座聖堂の世話と、貧しい大学生のための学生寮を経営するためです。
戦争が勃発したため、当然使徒職は別の方向に向きました。アレッポの混沌とした状況が許す限りにおいて活動は続いています。しかし、実際は最も重要なことは「そこにいる」ことです。一緒にいること、励ますこと、ときどきはただ人が泣き、同じ話をすることに耳を傾けることです。私たちがいることは、希望をもてるもう一つの証拠となるのです。

シリアのキリスト教徒はどのように生活しているのですか。
信じられないでしょうが、残酷な苦しみの中にある人びとと生活を共にしていて一番印象的なことは彼らの喜びです。以前よりも微笑むことが多いのです。
電気がついたと言って(電気がつくのは毎日1時間か2時間だけです)、あるいは水で体が洗えた(水が来るのは1週間に一度だけ)と言っては、神様の小さな贈り物に感謝し喜び合うのです。このように彼らは暮らしており、その喜びは周囲に伝染します。
文字通り死と隣り合わせに生きていると、生命はもっと意味を持つことになり、これ以上ない充実した生き方ができるのです。時間は1秒たりとも無駄にできない。今が最後の1日になるかも知れない、この今日をどう生きようかと考えるのです。これは表面的で軽薄な喜びではなく、天国に目を向けている人のほとんど無限の喜びです。

これらのキリスト教徒は本物の信仰の証しをしているわけですね。
その通りです。まったく頭の下がる証しであり、また同時に挑戦でもあります。イエス・キリストにすべてを捧げようとする人に惹かれない人がいるでしょうか。
だから、いつも言っているのですが、私たちは宣教師としてこの人びとに与えるよりも沢山のものを受けています。毎日毎日この人びとと一緒に暮らすことはとても大きな特権です。殉教者と証聖者の間に生きているのです。

シリアにおける衝突と暴力の原因は何ですか。
衝突は非常に複雑です。そこには様々な政治的経済的利害がからんでいますが、それらすべては民衆の善とは無縁のものです。教皇様が言っておられるように、いつも疑いが残ります。「ここでの戦闘、あそこでの戦闘(というのはいたるところに戦争があるからです)は、本当に問題を解決するための戦争だろうか、それとも違法な武器の取引で武器を売ることを目的とする戦争ではないのか」と。

過激派組織ISが攻撃してくる危険があるのでは。
シリアで想定外だったことがあるとすれば、それは戦争が勃発したことです。それほどキリスト教徒とイスラム教徒の間には平和と落ち着きがありました。しかし、これらの過激派がシリアに侵入したからには、彼らがここにも来る危険はあります。

この国の現在の危機には解決策があると思いますか。
解決のためには、教皇フランシスコが熱心に提案し、東方の首座司教たちの会議が繰り返したように、即座に過激派への支持と援助を止める必要があります。

世界の国々はどのような役割を果たすことができるでしょうか。
教皇様は国連に対してこの問題を取り上げ、過激派組織ISという不正な侵略者を食い止める最良の方法を審議して欲しいと頼まれました。私の思うには、個別的な利害にではなく、真理と人間の尊厳に基づいた本当に効果のある決定をしなければなりません。

世論に何を訴えたいですか。
この戦争の深刻さを見ると、奇跡が起こらなければそれを終わらせることができないように見えます。
しかし、シリアに暮らして学んだことがあるとすれば、それは奇跡は普通思うよりずっとしばしば起こるということです。
平和のために祈るのは止めてはなりません。人の心を変えることのできる唯一のお方である我らの主なる神に弛まず祈りましょう。

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