ドン・ボスコの最初の夢


ドン・ボスコの聖遺物

ドン・ボスコの聖遺物

2011年2月11日の夜、鷺沼教会にドン・ボスコが来て下さいました。正確に言うと、聖人の聖遺物(膝の骨)と、大きな御像(こちらも中に聖遺物が入っている)が、来て下さったのです。
(カトリック鷺沼教会公式サイトの報告はこちら 「ドン・ボスコ聖遺物日本巡礼 in 鷺沼教会」のご報告 )

聖人は、聖遺物の形で日本を訪れ、さっそく回心と癒しの恵みが各地で報告されています。
(2/11の記事「エッファタ!(ドン・ボスコの奇跡)」 もご参照下さい)

なんとありがたいことでしょうか!

ドン・ボスコは喜びと苦難の生涯を送りました。いつも祈りの内にイエス、マリア、ヨゼフ、フランシスコ・サレジオら諸聖人と一致し、導かれていました。また、ドン・ボスコが見た夢も聖人にインスピレーションを与えた1つの手立てだったようです。

ドン・ボスコ自叙伝』(ドン・ボスコ社刊)から、ドン・ボスコが9歳の時に見た、聖人の生涯を指し示す夢をご紹介します。


人生を大きく開かせた夢

ちょうどそのころ、私は夢を見ました。頭に焼きついていて、一生涯忘れることのない夢です。

家の近くの、とても広い庭にいるような感じでした。そこには大勢の子供たちが遊んでいました。はしゃいだり、勝負ごとに打ち興じたりしていたのです。中には冒涜の言葉を口にしていた者もいました、そういう言葉を耳にしたとたん、私は子供たちの中に飛びこんで行き、力ずくで黙らせようとしました。

その時です。立派ななりをした、威厳のある男の人が現れたのです。全身を白いマントで覆い、顔は見つめることができないほどまぶしく輝いていました。この方は私を名指しで呼び、子供たちの前に出てくるように命じて、次のように言われました。
「げんこつはいけない。柔和と愛をもってこの子供たちの友だちになるのだよ。さあ、罪がどんなに醜いか、徳がどんなに尊いか、この子たちにいますぐ教えてあげるがよい」

すっかり戸惑い、何を口走っているのかも分からずに、私は尋ねました。
「そんなできそうもないことを僕に命じられるなんて、いったいどなたさまですか」
「できそうもないと思われるからこそ、君は、従順によって、また、知識を身につけることによって、これらのことができるようにならなければいけないのだよ」
「どこで、どうやって知識を身につけたらよいのですか」
「君に女の先生をつけてあげよう。この先生の指導を受ければ、君は賢くなれる。でなければ、どんな賢さも愚かさに変わってしまうのだ」
「そう仰るとはいったいどなたさまですか」
「日に3度あの婦人に挨拶するよう、君はお母さんから教わっているだろう。私はその婦人の息子なのだ」

このとき、この方の傍らに、気高い姿の女の人がいるのに気づきました。身につけているマント全体が輝いており、一つ一つの部分がきらめく星でできているかのようでした。私がドギマギしながら質問したり答えたりしているのを見て、この女の人はご自分のほうに近寄るよう合図し、優しく私の手を握って言われました。
「ご覧なさい」
見ると、あの子供たちの姿は消えていました。そして、代わりに、数多くの子山羊、犬、猫、熊、その他の動物がいたのです。

「これが、あなたの持ち場です。あなたの働くべき分野です。謙遜で、強く、たくましい人になりなさい。今、この動物たちに何が起こるかを見せてあげましょう。その同じことを、私の子供たちのために、してあげてほしいのです」
そこで私が目を転じると、獰猛な動物たちが同じ数のおとなしい小羊たちに変わっており、跳びはね、走りまわり、鳴き声をたてながら、嬉しそうに例の男の方と女の方を取り巻きました。

事ここに至って、夢の続きですが、私は泣き出してしまい、出来事の意味が掴めないので、もっとよく分かるように説明してほしいと願いました。
すると、例の婦人は私の頭に手を置き、
「その時が来れば、すべてが分かります」
と言われました。

この言葉を耳にしたあと、物音で目が覚めました。
そして、なにもかも、夢と消えていたのです。


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