【ご報告】[オンライン]ミサと神のいつくしみのチャプレットを祈る集いのご報告

いつくしみのイエスと聖ファウスティナ今年から聖ファウスティナの記念日が一般ローマ暦に追加され、日本でも「任意」ながら典礼暦に記載されることになりました。
これを祝って、2020年10月5日に祈りの会「ミサと神のいつくしみのチャプレットを祈る集い」がオンラインで行われました。司式は、聖ファウスティナと同じポーランド出身のパウロ・ヤノチンスキー神父様(ドミニコ会)です。

平日にもかかわらず60余名の方々と共に祈り、感謝をお献げすることでき、とてもよい祈りの時となりました。ご参加下さった皆様、祈りをもって参加された皆様、本当にありがとうございました。

当日は、「神のいつくしみのチャプレット」を祈ったのち、聖ファウスティナの日記である『わたしの霊魂における神のいつくしみ』から、今回パウロ神父様がテーマとされた「沈黙」についての箇所を読み、その後ごミサとなりました。
ミサでは、聖ファウスティナの記念日固有の朗読箇所(第1朗読:エフェソ3・14~19、福音朗読:マタイ11・25~30)を予定していましたが、福音朗読のみ、神父様のご希望によりルカ1・39~56が読まれました。

パウロ神父様のミサ説教を、動画(約7分)と書き起こし編集版とで、分かち合いたいと思います。

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今日は聖ファウスティナの記念日となっています。そして明後日7日は「ロザリオの聖母」です。
聖ファウスティナの日記から、今一部(477)を読みました、「沈黙」について。

477 霊魂にからみつくすべてのものを切り離す剣
沈黙は霊的な戦いにおける剣です。口数の多い霊魂は決して聖性に達しないでしょう。沈黙という剣は、霊魂にからみつくすべてのものを切り離すでしょう。わたしたちは言葉に神経過敏で、話すことが神の御旨かどうかについて少しも考えずに、すぐさま口答えをしたがります。沈黙の霊魂は強く、もし霊魂が沈黙のうちに堅忍するならば、どんな逆境もそれを傷つけないでしょう。沈黙の霊魂は神との最も親密な一致に達することができます。それはほとんど常に聖霊の霊感の下に生きています。神は何の妨げもなしに沈黙の霊魂の中で働かれます。

もう一つの箇所を見つけましたので、読みます。

584 心の深みで語っておられる主の御声を聴くならば
「わたしがあなたの心の深みで話すことを黙想するなら、多くの本を読むよりもっと益になる。ああ、霊魂たちが、彼らの心の深みで話しているわたしの声を聞こうと望みさえすれば、彼らはすぐに聖性の頂点に達するであろう」

ですから、神様は私たちの心の深いところで語っておられる。それは事実ですね。聖霊として語っておられる。その聖霊と同じ方向性でマリア様が語り、そして天使たち、そして聖人たちも語っています。それは全部聖霊の促しですが、それぞれ役割があると思いますけれども、でもその共通点というのは、この恵みを私たちは受けているかどうか、そのために自分の心の中で沈黙という次元を発見しなければならないと私は思います。

ドミニコ会は幸いこの沈黙ということに注目していて、私も教育を受けました。ラテン語で silencium profund (英語 profound silence )、つまり「深い沈黙」。心の沈黙を育てるようにという教育があったんです。それで私は彼女が言っていることが分かります。
神様が語るとすればこの次元です。情報の次元、意識の次元は浅い。もっと深いところに行かないとだめです。

「沈黙」に関する聖書の裏付けの主な箇所は、詩編46・11「静まれ、私を神と知れ」(フランシスコ会訳)。静かにならないと神様の存在に気づかないのです。そして詩編62・2「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう」(新共同訳)。日本の歌にもあるでしょう、「私は静かに神を待つ」。
そして列王記上19・11~12。これは重要な話ですね。預言者エリヤは、神様と話して、そして神様は沈黙から語ったんです。ですから、神様の言葉はインスピレーションみたいなもの、エネルギーです。それが心に伝わって、結果として彼は預言者として癒され、活動し始めます。神様の声を聞くと、私たちは力づけられます。癒されます。神様の働き、癒しです。今は部分的にしか分かりませんが、最終的に天国に入るときに、それが分かります。
エレミヤ29・13~14「心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう」(新共同訳)。
そして、ファウスティナの『わたしの霊魂における神のいつくしみ』の584中でも一致しており、一番強調されています。

おしゃべりは私たちの弱いところ、弱点です。無意味のおしゃべりとか、特に、他人の話とか噂とか。それは神様の言葉とは正反対です。ですから、注意しましょう。
ある聖人――アルフォンソ・リゴリと思いますけれども――は、おしゃべりの危険性はどこにあるか、ある人に説明しました。枕を持って屋根に行き、強い風の中で枕をナイフで切ると、その羽毛は町中あちこち散らばっていってしまいます。私たちの言葉の危険性はそこにあります。言った言葉は行ってしまう。
私が上智で勉強していたとき、T神父様がいつもその点について話していました。「言葉は霊的な存在で、言葉によって私たちは人を生かすことができる、人を殺すこともできる。ですから、言葉に注意しましょう」。

聖ファウスティナは同じことを今日私たちに教えていると思います。アーメン。

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聖ファウスティナ(1) (2015/10/05)
聖ファウスティナ(2) (2015/10/05)

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