聖ボナベントゥラ司教教会博士(1218?-1274)イタリア生まれ。
幼いころ重病に陥った際、両親はアシジの聖フランシスコのもとに連れて行って治れば修道会に捧げると願をかけた。無事治った彼は、パリで学問を修めた後、フランシスコ会士となる。
神学と哲学に関する多くの優れた著作を著した。友人だったトマス・アクィナスと共に「二大神学者」として並び称され、また同時代の人びとから「熾天使(セラフィム)的博士」と称された。
「また、自分の十字架を担って私に従わない者は、私にふさわしくない。」(マタイ10・38)
誰もが、その人自身で負うしかない苦しみを抱えながら、それでも喜怒哀楽の毎日を過ごしつつ生きていることに、互いに敬意を払えますように。