パドバの聖アントニオ司祭教会博士(1195-1231)ポルトガル生まれ
聖アウグスチノ会に入会して司祭叙階されるが、アフリカへの宣教を希望し、フランシスコ会に移った。
しかし病気のためアフリカに留まれず、フランスやイタリアの修道院を転々とする。1221年にはアシジのフランシスコに直接会っている。
1222年イタリア・フォルリ郊外のモンテ・パオロ修道院にいた際、上長から急に頼まれたにもかかわらず素晴らしい説教をして、その名が知られるようになった。また、フランスで広まり始めた異端から多くの信者を教会に連れ戻した。
1231年イタリア・パドバで帰天すると、1年も経たないうちに列聖された。
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタイ5・16)
失せ物探しの名人であるパドバの聖アントニオが、私たちの中にある光を見出し、周りの人びとのために善いように使って下さいますように。