2011年3月26日のミサの福音


「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(ルカ15・20)
息子が分けられた財産を持って去って行った時、父親の淋しさはどれほどだったことか。
私たちが罪を犯した時に神様が感じられるのも、きっと怒りではなく淋しさや、哀しさなのでしょう。
それでも反省して帰ってくる私たちを、遠くから認めて腕を広げて迎えて下さる大きな御父の愛に感謝。

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