去る8月の平和旬間に「10日間の24時間聖体礼拝」という、すごい&素晴らしい企画が名古屋・主税町教会で行われました。期間中、記帳された方だけでも、のべ1,500名の方が参加されたそうです。
これだけ多くの方が心を合わせて祈りを共にできたことを神に感謝したいと思います。また準備して下さったスタッフの方がたにも感謝致します。
11日(金)、12日(土)の2日間参加させていただきましたので、そのご報告です。
1.写真
- 今回聖体礼拝が行われた主税町教会は、普段教会としては使用されていません。名古屋市の町並み保存地区の伝統的建造物/都市景観重要建築物として指定されています。お聖堂は1904年(明治37年)に建てられました。
(撮影はスタッフの許可の下、行っています)
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2.白浜満司教様(広島教区)ミサ説教
- (12日[土]19時から白浜満司教様主司式によるごミサが捧げられました。)
- ・ 第1朗読 申命記6・4~13 心を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい
・ 福音朗読 マタイ17・14~20 信仰があれば、あなたがたにできないことは何もない - 今一緒に共同司式をして下さっているジョヴァンニ神父様の会、「聖徒の交わり サンクトールム・コムニオ」という会の呼びかけで、8月6日・広島原爆の日から8月15日までのこの10日間名古屋教区のほうで24時間、しかも10日間の聖体礼拝が行われることになりました(*)。まず名古屋教区の皆さんに心から感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。
私は広島で働いています白浜と申します。松浦司教様も8月の5日6日、平和行事のためにいつも広島に来て下さっています。それで私も、この聖体礼拝の企画がありますよということを聞いたときに、やはり広島にも来て下さっているので、1日行きたいという気持ちになりました。それで一緒にスペインのモンセラートというところで隠遁生活を送っておられるミリアムシスター、そちらの青い修道服を着ておられるシスターですね、シスターはスペインのモンセラートというところにある修道院から日本のためにすべてを捧げるために隠遁生活を送って祈って下さっている方です。今回は2人だけで本当に申し訳ないんですけれども、広島を代表してこちらに来ることができました。本当に一緒にお祈りができて嬉しく思います。
ミサの初めに、聖体が置かれていて、聖体礼拝をしていました。そして今日のお説教で皆さんに何をお話ししたらいいか、考えておりました。その時にですね、私はとても恥ずかしくなりました。
今日のみ言葉の中で、ある人が息子のてんかんの病気を治してほしいとイエス様の弟子たちにお願いしましたが、それができなかった。弟子たちはイエス様に「どうして私たちは悪霊を追い出すことができなかったんでしょうか」「てんかんの病気をいやすことができなかったんでしょうか」と尋ねます。そしたらイエス様は「信仰が薄いからだ」というふうに言われました。私はそれを、とても心に響いてきたので、聖体の前で、1990年に司祭になってから今日まで、一度も病人を治したことがありません。悪霊を追い出したこともありません。何もできなかったので、「やあ、もう、本当に信仰が薄い者だ。イエス様本当にごめんなさい」という気持ちで聖体の前に座って祈っていました。「ああ、もう、どうしたらいいんだろうか、信仰を強めてほしい」と願いながら祈っていたときに、ふとイエス様の光が与えられたような気が致しました。
それは、イエス様が行ったてんかんを治す、あるいは、悪霊を追い出すということとか、あるいはパンを増やすとか、イエス様が行ったことを「奇跡」といいます。奇跡。あるいは「しるし」という言葉が言われていますけれども、一時的に特別なある特定の人のためだけに行われました。しかし、イエス様はそれをしるしというふうにも言っていますように、聖体の前で祈っていた時に、私はミサを司式して、パンとぶどう酒をイエス様の体と血にする恵みをいただいている。病者の塗油を授けて、病人のために癒しを行っている。ゆるしの秘跡を聞いて、罪の赦しを与えている。こう考えたときに、ものすごい恵みをいただいていることに気づかされました。一時的に病気が治っても、あるいは悪霊を追い出していただいても、一時的にパンを満腹食べたとしても、それが神様とつながっていく、もしそういう方向に向かわなければ、イエス様が行って下さった奇跡はその人にとってどんな恵みになるか考えてみたときに、イエス様が今秘跡を、しるしとして奇跡にして下さった。私も本当に信仰が弱いものです、信仰が薄いものです。今聖体の前で祈りながら、そのことを静かに認めながら、幼きイエスの聖テレジアの『自叙伝』の中に紹介されている1つのエピソードを思い起ました。皆さんもこれを聞かれたことがあるかもしれません。こういうエピソードがですね、1つの例え話と言ったほうが良いと思います。幼きイエスの聖テレジアは次のように書いています。「よちよち歩きの赤ちゃんが、2階にいるお父さんの方を見ています。まだ十分に歩くことができません。」この赤ちゃんが2階に行くためにどうしたらいいかということで、幼きイエスの聖テレジアは「それは簡単です」と言っています。どうすればいいか。よちよち歩きの赤ちゃんがですね、「お父さん!」と呼びかけて、自分の足を階段に一歩乗せればいい。倒れるかもしれません。それでいい。何が起こるか? お父さんが階段を降りてきて、自分の名を呼んでくれたこの赤ちゃんをしっかり抱いて2階に登ってくれるからそれでいいんだ。
これが信仰だと思います。自分の弱さを、自分の心の中を見てみる時に、本当に欠点だらけで、いろんな過ちを犯し、足りない人間です。しかし、しっかりと神様を見つめて、「お父さん!」――信頼を込めて神様の助けによりすがる、その時に今日のイエス様の言葉を借りれば、「何でもできる」。それは私たち人間の力ではなくて、神様の力で何でもできる。
私たち、聖体礼拝を、またミサの後から続けていきますが、イエス様が今私たち司祭を使って聖体を皆さんのために聖別して下さいます。その聖体の中にイエス様がいらっしゃる、復活されたイエス様がいらっしゃる。この大きな恵み。そしてそれを私たちは、食べる、ということをとおして、イエス様を私たち一人ひとりの心の中に迎えることができます。イエス様が私たちの心の中に一緒に住んで下さいます。このイエス様が自分と一緒にいて下さる、もうこれ以上に何かお願いすることが必要でしょうか? 神の子であるイエス様が食べ物、飲み物の形で私たちの中に来て、一緒に住んで下さる、私の人生を一緒に生きて下さる、私の悩み苦しみをすべて自分のものとして歩んで下さる。そのイエス様に心を開いて従っていく。これがあれば他にもう何もいらないくらいじゃないかと思います。
聖体の秘跡は、7つの秘跡の頂点と言われます。イエス様が2000年以上前にあのパレスチナで行われた奇跡は一時的なもので、ある特定の人びとのためだけでした。しかしいつくしみ深いイエス様は、聖霊の働きをもって、教会が行う秘跡をとおして、豊かに私たちの中で今もいつくしみを与えて下さっています。この最高の恵みである聖体。この聖体を礼拝しながらイエス様の前で「信仰の弱い私を助けて下さい」と祈りながらも、イエス様に強く信頼をもって生きていく。その恵みを願いながら、私たちの信仰が世界の平和につながっていくことができますように、このミサを続けて祈りましょう。
※ 追記
今回の企画は、松浦司教様(名古屋教区)が「サンクトールム・コムネオ」創立者のペーター神父様に会われた際、ご聖体礼拝の話に触発されて、有志の信徒たちと企画・呼び掛けをして行われました。白浜司教様には正しく伝わっていなかったようです。(本文に戻る)
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・ 『書簡 聖体礼拝への招き』 (WEBショップ)