教皇フランシスコの言葉から学ぶ「告解に行くべき10の理由」


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四旬節。誰しも「ゆるしの秘跡に与らなければ」と特に思う季節です。
パパ様は水曜日の一般謁見や、日曜日のお告げの祈り等の中で、ゆるしの秘跡の大切さを何度も説いて来られました。10の言葉を引用しつつ、なぜ「ゆるしの秘跡」に与るべきなのか、黙想したいと思います。

  1. ゆるしの秘跡は、人びとが間違いを犯したことを恥ずかしく思うように助け、神の愛によって彼らを抱きしめるものです。これにより、彼らは自分が赦されており、これから罪を犯さないようにする戦いの場に強められて出て行けるのだと悟るのです。
  2. もし、一般信徒であれ、司祭やシスターであれ、人がゆるしの秘跡に与り、回心するなら、主は赦されます。そして主は赦した罪を忘れて下さいます。そこが重要です。」(2013年7月28日ブラジルからバチカンへ戻る飛行機内でのマスコミ取材で)
  3. ゆるしの秘跡は、罪のシミを洗い落とすだけのビジネス的なドライクリーニング業ではありません。」(2013年4月29日バチカン投資銀行のメンバーに)
  4. ……私たちの弱さや罪のために門が閉まり始めた時、ゆるしの秘跡がそれを再び開いてくれます。」(2013年11月13日一般謁見)
  5. 洗礼を2度3度と受けることはできませんが、ゆるしの秘跡には何度も与れます。ゆるしの秘跡に行けば、洗礼の恵みが新たにされるのです。」(2013年11月13日一般謁見)
  6. そこは人を非難する拷問室ではありません。」(2013年11月13日一般謁見)
  7. ゆるしの秘跡は、その『いつくしみに対してより良いことを行おうと決心する』、イエスと出会う場です。
  8. それは罪の問題を無視した心理カウンセリングでもなければ、司祭を通して主と対面することを避ける観念的な神への電子メールでもありません。
  9. 『サタンの一つのとげが肉体に刺さっている』(IIコリ12・7参照)という、人の弱さを、真摯かつ謙遜に認めること。それは、救いの力が、人からではなく、神から来るのだということを明らかにするものです。」(2013年6月14日朝ミサでの説教)
  10. 告白することは神を讃えることです。なぜなら、罪びとである私は神によって救われたのですから。いつでも待っていて下さり、いつでも優しく赦して下さる方である神によって。

パパ様は私たちを励まし、ゆるしの秘跡を受けるようにと背中を押して下さいます。
最後に次の言葉を味わいながら、四旬節を実りあるものにできるよう努めたいと思います。

「自問して下さい。最後に告白をしたのはいつだっただろうか。長い時間が経っていたなら、明日を待たずに、告白に行って下さい。司祭はいくつしみに満ちています。そしてイエスがそこにおられます。イエスは司祭よりもいつくしみ深い方です。イエスはあなたを受け入れて下さいます。深い愛をもって受け入れて下さいます。勇気をもって告白に行って下さい。」(2014年2月19日の一般謁見)

(参照記事: Pope Francis’ top ten reasons to go to confession [The Catholic Review] )


= 追記(2014/03/10 8:50) =

訳を一箇所変更致しました。本文は修正済みです。
「精神医学会議」→「心理カウンセリング」

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