コンクラーベ関連の虚偽報道・詳細


欧米には、カトリックやキリスト教嫌いのマスコミがあります。それらのマスコミが無責任に流す内容に対して、教皇庁国務省がはっきりと非難する発表を行っています。
(過去記事: バチカン、コンクラーベ関連の虚偽報道を非難

尾崎神父様(オプス・デイ)の翻訳で、その虚偽報道の一端をご紹介致します。

(原文記事: Ante la elección de un nuevo Papa: presiones a los cardenales disfrazadas de noticias

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『新しい教皇の選出を前に、
枢機卿たちに圧力を掛けようとするマスコミ

『パノラマ』誌

【ローマ 2013年2月24日(Zenit.org)】
かつては教皇選挙に介入しようとしたのは国家であった。今では世論がそれをする。このように2月23日(土)に聖座の国務省の出した声明は、教皇ベネディクト16世の退任発表とコンクラーベの開催を前に出た山のような記事を見て、指摘する。

嘆かわしい嘘の一つが、バチカンの文書流出事件をきっかけに、3人の枢機卿(Julián Herranz, Joseph Tomko, Salvatore De Giorgi)が教皇ベネディクト16世に奏上したプライベートな報告書について、イタリアの雑誌『パノラマ』が出した記事である。

『パノラマ』誌は、その内容(教会内の派閥地図、教会内部の分裂、選挙の行方を左右する力をもつ同性愛者たちの結社までを説明)が知られれば、コンクラーベに影響を与えるであろう『極秘文書』を手に入れたと豪語し、それに基づいて記事を出したと言っていた(2013年2月20日)。

その翌日、イタリアの新聞『レプブリカ』は、『パノラマ』のその記事をもとにして(とは言わないが)、「性と競争、教皇退位の裏にあるバチカン内の恐喝」と題したセンセーショナルな記事を出した。この記事の著者、イタリア共産党の機関誌『ウニタ』のもと編集長コンチータ・デ・グレゴリオは、想像力をフルに使い、いかなる極秘文書にも裏付けられていない(というのは、彼女もそのような極秘文書を入手しなかったからだが)結論を発表するに至った。『レプブリカ』の記事は、後でスペインの大手新聞社、『エル・パイス』と『エル・ムンド』にも利用された。

2月22日、『スッシディアリオ』紙が『パノラマ』誌の記事の著者とインタビューをした。その場で著者は、まず『レプブリカ』が自分の記事をコピーしたことを暴露し、次に本当は自分も極秘文書は一つも手に入れたことがなく、すべては想像の産物だと告白した。

誰あろう、『パノラマ』のような雑誌の記者や、『レプブリカ』紙が教皇を攻撃する意図を持っているということは不思議ではない。なぜなら、実際教皇ベネディクト16世が退任を発表して以来、『レプブリカ』は教会を権力闘争の巣窟、金と性にまみれたマフィア、と罵倒する記事をせっせと書いているからである。

ティモシー・ドーラン大司教伝統的に反カトリックである『ニューヨーク・タイムズ』も、異なるテーマではあるが、この運動に肩入れし、ニューヨークのティモシー・ドーラン大司教がミルウォーキー教区での児童の性虐待の裁判に出席したことに皆の注意を向けさせた。
この記事(2013年2月20日)の著者はLaurie Goodsteinだが、彼女はかつて教皇をあるの性虐待の事件に巻き込もうとしてあらゆる努力をしたが果たせなかった人物である
Juanjo Romeroが "De Lapsis" というブログで指摘するように、
「枢機卿は、性虐待に関係した司祭たちの名前を発表する決心をすでに9年前にしていたことを話そうと、進んで法廷に立ち、協力を惜しまなかった。誰も枢機卿を告発しなかった」
のだが、スペイン語圏のマスコミは、さっそく Associated Press という通信社の情報を利用して讒言をでっち上げる仕事に着手した
こうして「性虐待の首謀者の司祭たちを匿った故にニューヨークの枢機卿が解任」(Univisión紙。後にこの記事を撤回)や「性虐待のスキャンダルによりニューヨークの枢機卿が解任」(『エル・パイス、コロンビア』紙、2013年2月21日)から、「未成年への性虐待の犯人を匿ったためにニューヨークのドーラン枢機卿が解任」(『エル・ディアリオ』紙、2013年2月21日)、「性虐待者を匿ったかどでニューヨークの枢機卿が解任、枢機卿はコンクラーベに出席する意向」(『アニマル・ポリティコ』紙、2月21日)、「ニューヨークの町の大司教が解任」(『テッラ・エスパーニャ』紙、2013年2月21日)に至る一連の記事が出た。

「コンクラーベが近づくにつれ、選挙人の枢機卿たちが神のみ前で良心に従って完全に自由に投票する義務を持つときに、裏付けのない、または裏付けることのできない、果ては虚偽の、そして個人と団体の名誉を深く傷つけさえするニュースを次から次への流されることは、まことに嘆かわしいことである」とバチカンの国務省は言う。

マスコミとその信憑性という視点から見ても、この状況は同様に遺憾なことである。主張を裏付けるデータや出典がない記事を出すなら、それは新聞記事ではなく、フィクションと言えよう。いみじくもディエゴ・コントレラスがブログ「報道における教会」で言っているように、その種の記事は極めて「安価」である。しかし、安いファンタジーを買わされる読者は、つまるところ嘘の読み物に金を払うのであるから、損をすることになる。大手の新聞社が、何度も無批判にうわさ話を再生産することに満足するならば、それは中傷を知りながら受け入れることである。そういう態度は、結局のところ自己を傷つけるのである。


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