ドイツ人司祭の列福(2)

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今年2011年6月25日列福式が執り行われドイツ・リューベックの殉教者3人が歩んだ軌跡について、第2回。
3人の列福調査を担当したアンドレア・アンブロシ師による、2人目の福者ヘルマン・ランゲの紹介です。

翻訳:尾崎神父様(オプス・デイ)

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(Zenitの記事はこちらです http://www.zenit.org/article-32954?l=english

 

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[E:clover] ヘルマン・ランゲ神父 Hermann Lange

ヘルマン・ランゲ神父アンブロシ師は彼を「神学以外にも非常に秀でた博学な知識人の司祭」と定義する。

1912年、フリジア東部に生まれる。新しいドイツと呼ばれたカトリック学生連盟に入る。ロマーノ・グアルディーニの作品に深い影響を受け、グアルディーニの思想に忠実に従う。1931年にはミュンスター大学の神学部で学び、のちにオスナブリュックの大神学校に入学。1938年に司祭叙階。1939年にはリューベックのイエズスのみ心教会で司牧を始めた。

アンブロシ師は「ランゲ神父はこの上なく細かいところまで説教の準備をした」という。「そのうえ、毅然としていると同時に、優しく、人間的な面において細やかな人情をもった人であった。その人となりは完全な調和を保っていた」

繊細な感受性を持ちながら、神学的知識においても群を抜いていた。そして、ナチスの体制に対して決然と反対を表明した。当時この体制に奉仕していた若い兵士と話し、カトリック信者なら戦争においてドイツ軍の中で戦うことはできないと明快に言った。
恐れることなく反体制の書き物を配っていた。1942年リューベックの町が初めて空爆を受けたとき、命の危険を顧みず、信者たちの安全のために走り回った。

1942年6月16日にゲシュタポに逮捕される。「人民裁判所は、祖国に反逆し、敵側を支援し、ラジオにより犯罪を働いたという罪状で、他の司祭とともに死刑の判決を下した」、それは神父がラジオの番組で反体制の考えを広めていたからである。

独房では一緒になったシュベントゥナーというプロテスタントの牧師と兄弟のように付き合った。

神父の手紙には神がお許しになることへの神妙な服従と深い宗教性が見られる。判決が出た日に両親に書いた手紙には、「この手紙が届く頃には、私はもうこの世にいないでしょう」とある。「今日は父の御国への偉大な帰還の日になるでしょう。その後、この世で私の近くにいた人びと皆に会うでしょう」

神父の手紙について、1929年にノーベル文学賞を受賞したトーマス・マン(1875~1955)は、それは「キリスト教信仰、カトリック信仰の最も美しい証しである」と称えた。


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