マルタ・ロバン (愛と光の家)


マルタ・ロバンフランス人マルタ・ロバンは、聖痕を受け、長い間ご聖体のみで生きた女性として知られています。
彼女は、病気のため79年の生涯のほとんどをベッドの上で寝たきりで過ごさねばなりませんでした。しかし主と受難を共にし、主への愛に生きた彼女を通して、「愛と光の家」は始まりました。これは父親である一人の司祭の指導のもとに、自分を奉献した信徒で成り立っています。「愛と光の家」は世界中に広がり、日本では大阪の茨木市にあります。

聖痕を受け、長い間ご聖体のみで生きたこの女性の人生についてご紹介したいと思います。

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時代の申し子

マルタ・ロバンは、1902年、フランスのシャトウヌフ・ド・ガロールという小さな村に生まれました。当時は反教権主義が広がり、修道者を追い出していた時代でした。
マルタは14才で学校を終え、その後は両親の畑仕事を手伝ったり、家畜の世話をしていました。慎ましく暮らしていたマルタに転機が訪れるのは彼女が16才の時で、この頃より体が徐々に麻痺し始めました。

主への信頼

病状は一進一退を繰り返しながら進行しましたが、主への信頼はますます増してゆき、23才の時に自分の記憶、知恵、望み、心、体、自己の持つすべての能力を主に捧げる決心をしました。

「神である主よ、あなたはこの小さなはしために、すべてを求められました。ですからどうぞ、すべてを取り、すべてを受け入れてください。今日、私は、あますところなく、また取り戻すことなく、あなたに自分をお渡しします。おお、私の魂の愛するお方よ。私の望みはただあなただけ、それゆえあなたへの愛のために、私はすべてを放棄します。」(マルタの奉献の文より)

マルタの受難

マルタは26才の時以来、生涯にわたって床につくようになり、さらに食物も喉を通らなくなりました。
ただ不思議なことにご聖体だけは摂ることができたので、1928年から1981年までの間、マルタは奇跡的にご聖体だけで生きたのです。

病床のマルタ彼女が28才の時、イエスはマルタに現れて言われました。
「私のようになりたいですか」
主にすべてを捧げていた彼女に、どうしてこれを拒むことができるでしょうか。やがてマルタの両手、両足、心臓、眼から血が流れるようになりました。(彼女は謙遜の心遣いでこれらを隠すことを願ったので表面上は完全に消えてしまいましたが)
この頃より天に召されるまでマルタは50年間、毎週木曜日の晩から、キリストのアゴニア(臨終の苦しみ)を体験するようになりました。

愛と光の家の誕生

フイネ神父はある人の頼みで、たまたまマルタのもとに聖母マリアの絵を届けることになりました。彼は、初めてマルタと出会ったこの忘れがたい日を後に幾度も語っています。

「初めの1時間、マルタは私に、聖母についてしか話しませんでした。彼女は聖母を『私の大好きなママ』と呼んでいました。そこで私は、聖母と彼女は非常に深く知り合っているのだなと推測したのです。

2時間目に彼女は、これから繰り広げられるであろう重大な事柄について話しました。
『新しい愛の聖霊降臨が起こり、信徒の使徒職を通して教会が若返るでしょう。信徒は教会の中で、非常に大切な役割を持つようになるでしょう。そして、たくさんの人が使徒として召し出されるでしょう』と。
ずっとのちに教皇ピオ12世、ヨハネ23世、そしてパウロ6世が『教会の春』『新しい愛の聖霊降臨』と語られたのを聞いた時に、私はたいへんな衝撃を覚えました。
彼女はさらに、信徒を養成するために多くの方法があるでしょうが、とりわけ『愛と光の家』が多くできるでしょうとつけ加えました。
『愛と光の家は、父親である1人の司祭の指導のもとに、自分を奉献した信徒で成り立つのです。愛と光の家は、全世界の中で輝かしい影響を与えるでしょう。これは教会の中で全く新しいことです。今まで決してなかったことでしょう。修道会ではなく、聖別された信徒から成るのです。これらの家は人々の物質的敗北と悪魔的な誤謬が生じたのちに、イエスの聖心からの答えとなるでしょう』

3時間目になった時、彼女は私の方に向かって言いました。
『神父様、神様からのお願いがあります』
『え、どんなこと?』
『最初の愛と光の家を建てるために、ここシャトウヌフにおいでになるべきお方は、あなたです』
『私ですって? でも私は、この教区のものではありませんよ。リヨンのものです』
『関係ありませんよ。神のお望みだから』
『なるほど……でも、何をするために?』
『とくに黙想会の指導のためです』
『そう、3日間の黙想会はいいでしょうね』
『いいえ、聖母は5日間をお望みです』(注・聖母はしばしば出現した)
『ああ、そうですか。ではその黙想会はいったい、誰のためなのですか?』
『婦人と若い女性たちのために』
『その黙想会の間に、何をしますか? 座談会ですか、何かの分かち合いですか?』
『いいえ、いいえ、いいえ。聖母は、完全な沈黙をお望みです』
『しかし婦人や若い女性たちを、5日間沈黙させることができると思いますか?』
『聖母がそう頼まれるのですから』
『ああ、そうですか、知らなかったので……しかしどのようにして、黙想会があるということを知らせるのですか』
『聖母がその任を果たしてくださるでしょう。そしてイエスが特別な恵みをお与えになるでしょう。宜伝する必要はありませんよ』」

「私は、私の長上であるボルネ司教に話しました。
『マルタが頼むのなら、承諾しなければなりませんよ』との答えでした」

「また私の霊的指導者であるアルベルト・ヴァレンサン神父にもその件について話しました。この著名なイエズス会士は、神秘神学の権威者でした。
『マルタ・ロバン。知ってますとも。このあいだピック司教に連れられて、彼女のところへ行きましたよ。彼女はシエナのカタリナです。彼女は、教会の娘です。あなたは、彼女が言うことをすべて安心しておやりなさい。彼女が言うことを全部必ずしてくださいよ。全部、全部、全部ね。』

それでもう、やり始めるしかありませんでした。ヴァランスのピック司教に会いに行きますと、司教様は両手を広げて歓迎して下さいました。すぐに理解し、計画を祝福して下さったのです」

マルタの祈りは限りなく、こうして始まった黙想会は徐々に参加者が増え、男性も参加できるようになり、現在、愛と光の家は世界の70数ケ所に建てられるまでになりました。
日本では大阪府の茨木市にあります。

数十年間、ご聖体以外なにも食べず、なにも飲まず、夜も眠らず、生き続けたマルタ。
数十年間、毎金曜日ごとにイエスのご受難を生きたマルタ。
彼女は1981年に天に召されましたが、その働きはとどまるところを知らないようです。
彼女の生涯を知るにつれイエスの私たちに対する計り知れない愛を思い起こすことができます。

= 関連サイト =
Foyers de Charité
Marthe Robin


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