聖ファウスティナ (1)

聖ファウスティナ2000年の大聖年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されたポーランドの聖女ファウスティナ。彼女がイエスの出現によって与えられた「神のいつくしみ」についての信心は、今の時代にとって、とても大切なものの1つではないでしょうか?
ご復活の主日の次の日曜日には、聖ファウスティナに現れたイエスの求めに応じて、「神のいつくしみの主日」を祝うことになっています。(日本では2001年から典礼暦に加えられました)

聖ファウスティナの生涯について、『聖ファウスティナの生涯』(いつくしみセンター発行)から一部分を抜粋してご紹介します。


その1 その2


ヘレナの誕生

1905年8月25日、ポーランドのグウォゴヴィエツという小さな村に、シスターファウスティナは生まれました。彼女の名前はヘレナ・コヴァルスカといい、10人兄弟の3番目でした。ヘレナ・コヴァルスカの家は貧しい農家で、父は農業以外に大工の仕事もしていました。彼女は子どものときから、農作業や家の雑仕事を手伝っていました。
ロシア統治下のポーランドでは学校は閉鎖されていたため、ヘレナはやっと12歳で学校に行くことができました。しかしヘレナはわずか2年間で学校生活を終えざるを得ませんでした。

人生の転機

1924年の7月、彼女は姉と一緒に、スタニスワフ教会の裏の公園で開かれたダンスに参加しました。そこで彼女は、自分の隣に、突然、イエスを見たのです。

「私は1人の姉とダンスに行きました。皆は楽しいひと時を過ごしているのに、私の魂は深い苦悩を感じていました。私は踊り始めた時に、突然、すぐ隣にイエスを見ました。イエスは苦痛でもだえ、衣類は引き剥がされ、体は傷で覆われていました。そのイエスは私に言いました。『いつまで私に忍耐させるのか、いつまで私を待たせるのか』と。その時、音楽は止まり、今まで一緒にいた仲間たちは私の視界から消えていました。そこにはイエスと私だけが残されていました。
私は大好きな姉のそばに座り、頭が痛いふりをしました。今、私の魂に起こったことを隠すために。しばらくして、私は姉や仲間たちに気づかれないようにそっとその場を立ち去り、スタニスワフ教会に向かいました。」(日記9)

ヘレナはご聖体の前にひれ伏し、主イエスに、次に自分が何をすべきかよく分かるように教えてくれるよう懇願しました。

「すると、『今すぐ、ワルシャワに行きなさい。あなたはそこで修道院に入るで しょう』という声を聞きました。」(日記10)

修道会に入るまで

やがてワルシャワに着き、ヘレナはいくつかの修道会の門を叩きましたが、どこも彼女を受け入れてくれませんでした。
ヘレナはある日、「あわれみの聖母修道女会」を訪ねました。修道院長のシスター・ミカエルは少し話した後、言いました。聖堂の主のところに行って、イエスが彼女を受け入れるかどうか聞いてきなさいと。ヘレナは喜んで聖堂に行き、素直に主に尋ねました。

「すぐに私は声を聞きました。『私はあなたを受け入れる。あなたは私の心のうちにある』
私が聖堂から戻った時、シスターは真っ先に聞きました。「主はあなたを受け入れましたか?」
わたしは答えました、「はい」と。
シスターは言いました、「主があなたを受け入れたなら、私も受け入れます。」」(日記14)

シスターファウスティナの誕生

1926年4月30日、ヘレナはベールと修道服を受けました。そして、Sister Maria Faustina(マリア・ファウスティナ)という修道女名が与えられました。当時の修道会の習慣で、彼女は修道女名に of the Most Blessed Sacrament(ご聖体の)を付け加えました。すなわち、Sister Maria Faustina of the Most Blessed Sacrament が正式名です。いつくしみのイエスと聖ファウスティナ


その1 その2


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