/聖ヒッポリト3連祭壇画[部分](ディルク・ボウツ画) 聖ポンツィアノ教皇の殉教[部分](バルタサール・デ・エチャベ画)/聖ヒッポリト3連祭壇画[部分](ディルク・ボウツ画)](https://divinemercy.jp/wp-content/uploads/2024/08/sts_pontianus_hippolytus-600x600.jpg)
picture: 聖ポンツィアノ教皇の殉教[部分](バルタサール・デ・エチャベ画)/聖ヒッポリト3連祭壇画[部分](ディルク・ボウツ画)
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230年ポンツィアノはローマ司教に叙階される。当時教会派分裂しており、ローマの神学者だった司祭ヒッポリトは「対立教皇」となった。
235年にローマ皇帝マクシミヌス帝により、教皇ポンツィアノと司祭ヒッポリトは共にサルデーニャ島に追放された。その地でヒッポリトは信仰を取り戻し、教皇ポンツィアノと親交を深めた。重労働と劣悪な環境の中で、2人は亡くなった。
「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」(マタイ18・20)
皆が求める平和が、この地上に実現されますように。心を合わせて願い求めます。