教皇選出の翌日、2013年3月14日、教皇フランシスコは朝からローマ市内に出かけられました。
8時5分(イタリア時間)、最小限のお供を連れてバチカンを出ると憲兵の運転する車に乗り込むと、まずは、ローマ4大聖堂のひとつ、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へ。第1声となる昨夜の演説で「明日聖母にローマを守って下さるよう祈りに行きます」と言われたとおりになさったのです。
ここにある聖母画「ローマ人の救い(Salus Populi Romani)」(※ 上の画像)に小さな花束を捧げると、10分以上祈られました。その後、主祭壇下にある幼子エスが寝かされたという「聖なるまぐさ桶(Sacra Culla)」(※ 右の画像)の前で祈りを捧げられました。(聖遺物は、水晶と銀でできた聖遺物容器に安置されています)
続いて、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂内にあるシスティーナ礼拝堂に向かわれました。ここは教皇が属するイエズス会の創立者聖イグナチオ・ロヨラが司祭叙階後初めてミサを捧げた場所です。その祭壇と、礼拝堂内にある教皇ピオ5世のお墓の前で祈りを捧げられました。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂でのパパ様
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を出ると、コンクラーベ前に滞在していたナヴォーナ広場近くの聖職者向け宿泊所「Domus Internationalis Paulus "VI" 」に寄りました。従業員らに挨拶をして荷物をまとめると、自ら宿泊費を支払われました。
その後バチカンに戻られた教皇様は、今後の予定の打合せに午後の時間を費やされました。
夕方5時(イタリア時間)、バチカン・システィーナ礼拝堂で枢機卿方とコンクラーベを締めくくるミサ「Missa pro Ecclesiae」(教会のためのミサ)を捧げました。
今後の予定は、
15日(金)全枢機卿方との謁見
16日(土)マスメディア関係者との会見
17日(日)お告げの祈り(日曜日のアンジェラス)
19日(火・聖ヨセフの祭日)着座式
となっています。
なお、教皇庁広報官ロンバルディ神父は、清貧を愛される教皇様に関して、次のようなエピソードを明かしています。
- 「モッゼッタ」と呼ばれる赤い短めのケープは着ない。十字架は黄金製のものではなく、これまで使っていたものを使う。
- 「フランシスコ」という教皇名は、アシジの聖フランシスコから取ったもので、その宣教精神と徹底した清貧を強く思い起こすためである。なお、「1世」は付かない。
- 教皇に決まった直後、枢機卿方から従順の誓いを受けるに当たり、教皇座に座って受けるのではなく、立ったままの姿勢で受けられた。
- 教皇選出後にゲストハウスに戻られる際、バチカンが用意していた教皇専用車ではなく、他の枢機卿方と一緒にミニバスに乗られた。
- 夕食の際に枢機卿方が教皇選出を祝って乾杯をすると、「皆さんがしたこと(自分を教皇にしたこと)を、神が赦して下さいますように」とジョークを返された。