「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をお咎めになった。」(マルコ16・14)……
「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。」(ヨハネ21・1)……
「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。」(ルカ24・45,46)……
「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし……イエスだとは分からなかった。」(ルカ24・15,16)……
「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。」(ヨハネ20・14)……
「今日こそ神が造られた日、喜び歌え、この日を共に。」(詩編188・24)……
「私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」(復活祭・復活の聖なる徹夜祭 第2朗読[ローマ6・8]より)……
「彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。」(イザヤ53・5)……
「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネ13・14)……
「弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。」(マタイ26・22)……