picture: 聖ポンチアノ教皇の殉教[部分](バルタサール・デ・エチャベ画)/聖ヒッポリト3連祭壇画[部分](ディルク・ボウツ画)
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230年ポンチアノはローマ司教に叙階される。当時教会派分裂しており、ローマの神学者だった司祭ヒッポリトは「対立教皇」となった。
235年にローマ皇帝マクシミヌス帝により、教皇ポンチアノと司祭ヒッポリトは共にサルデーニャ島に追放された。その地でヒッポリトは信仰を取り戻し、教皇ポンチアノと親交を深めた。重労働と劣悪な環境の中で、2人は亡くなった。
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(マタイ18・10)
謙遜ぶっていながら、謙遜な人を見下して馬鹿にするような愚か者になりませんように。
聖母に真の謙遜を教えていただきたいと願います。