2024年6月13日(パドバの聖アントニオ司祭教会博士の記念日)のミサの福音

幼子キリストとパドバの聖アントニオ[部分](アントニオ・デ・ペレーダ画)

パドバの聖アントニオ司祭教会博士(1195-1231)ポルトガル生まれ
聖アウグスチノ会に入会して司祭叙階されるが、アフリカへの宣教を希望し、フランシスコ会に移った。
しかし病気のためアフリカに留まれず、フランスやイタリアの修道院を転々とする。1221年にはアシジのフランシスコに直接会っている。
1222年イタリア・フォルリ郊外のモンテ・パオロ修道院にいた際、上長から急に頼まれたにもかかわらず素晴らしい説教をして、その名が知られるようになった。また、フランスで広まり始めた異端から多くの信者を教会に連れ戻した。
1231年イタリア・パドバで帰天すると、1年も経たないうちに列聖された。

「しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。」(マタイ5・22)

感情に駆られて愛を見失いそうな時、暗闇の中で信仰を失いそうな時、パドバの聖アントニオの取り次ぎによって、愛を信仰を見出せますように。

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