聖母マリアの汚れなき御心への信心

イエスの聖心 マリアの御心「イエスの聖心(みこころ)の祭日」の翌日の土曜日は、「聖母の御心(みこころ)の記念日」です。
英語では「Feast of the Immaculate Heart of Mary 聖母の汚れなき御心の記念日」です。

◆ その歴史

この記念日は、1944年に教皇ピオ12世によって制定されました。
しかし、「聖母の汚れなき御心」への信心は、この時に生まれたのではなく、もっと古くから大切にされていました。

中世においては、カンタベリーの聖アンセルムスやクレルヴォーの聖ベルナルドが、聖母の御心について言及しています。
シエナの聖ベルナルディノは「聖母マリアの心の博士」と呼ばれていますし、聖フランシスコ・サレジオは、神への愛の模範である聖母の御心の完全性について語っています。

17世紀には、聖ヨハネ・ユード(1601~1680)が聖心の祝日と共に、「聖母の汚れなき御心」への信心について説き、汚れなき御心の信心会もいくつか設立しています。

「あなたは知らないのですか、イエスはマリアの御心の中に絶えず休んで住んでおられるだけでなく、イエスご自身こそがマリアの御心であることを……」(聖ヨハネ・ユード)

また、聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールは、「すべての母親の愛を一つの心に集めたとしても、子供たちに対する聖母マリアの心の愛には及ばないでしょう」と言いました。

19世紀に入ると、教皇ピオ7世や教皇ピオ9世が、「聖母の汚れなき御心」を祝うことを、いくつかの教会に対して認可します。
また、カタリナ・ラブレへの聖母のご出現によって作られた「不思議のメダイ」を通して、イエスとマリアのみこころへの信心が徐々に広まってゆきました。

特にファティマでの聖母のご出現以来、「聖母の汚れなき御心」への信心は、教会の中で大きく広まったのです。

そして、第2次世界大戦中の1944年、教皇ピオ12世は、『聖母マリアの執り成しによって「諸国間の平和、教会の自由、罪人の回心、純潔への愛、徳の実践」を得るために』、全教会に対して「聖母の汚れなき御心」を祝うようにと、この記念日を制定したのです。

◆ 聖母の汚れなき御心

聖母の御心はだいたい以下のように表現されます。
御父・御子・聖霊への愛、そして人類への母としての愛に燃えています。
その周囲は、薔薇などの花で冠のように囲まれています。
そして、御心は剣で貫かれています。特に「聖母の悲しみ」を強調したい場合には、7本の剣が刺さります。

聖母の御心のイラスト

◆ 聖母の汚れなき御心への奉献

これまで幾人もの教皇様が、全世界を聖母の汚れなき御心に奉献し、ご保護を願ってこられました。

  • 1942年10月31日のラジオ演説 教皇ピオ12世
  • 1942年12月8日 教皇ピオ12世
  • 1952年7月7日の使徒書簡「SACRO VERGENTE ANNO」 教皇ピオ12世
  • 1964年11月21日 教皇パウロ6世
  • 1982年5月13日 教皇ヨハネ・パウロ2世
  • 1982年12月8日 教皇ヨハネ・パウロ2世
  • 1984年3月25日 教皇ヨハネ・パウロ2世
  • 2000年10月8日 教皇ヨハネ・パウロ2世
  • 2010年5月13日 教皇ベネディクト16世
  • 2013年10月13日 教皇フランシスコ
  • 2022年3月25日 教皇フランシスコ

◆ 初土曜日の信心(初土の信心)

ファティマで聖母のご出現を受けたシスター・ルチアは、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪と冒涜を償うために、聖母から「初土曜日の信心」を広めるようにと託されました。
→ 「初土曜日の信心(初土の信心)」 (2024/05/13)

◆ 終わりに

原罪を免れた聖母の汚れなき御心の、「父なる神への愛」「御子イエス・キリストへの母性的愛」、そして「全人類への母性といつくしみに満ちた愛」について黙想し、倣うことができますように。

聖母マリアの汚れなき御心よ、私たちのためにお祈り下さい。

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・ 「初土曜日の信心(初土の信心)」 (2024/05/13)
[オンライン]「初土のロザリオ会」へのお誘い (2022/03/29)

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