聖ニコラオ司教(270-343)トルコ・パタラ生まれ。
信仰深い家庭に生まれる。
司祭叙階後、ミラで宣教に努めた。信仰の弱い人を強め、貧しい人を援助した。貧しい靴職人の3人の娘の結婚を援助したこともある。人びとの推挙により司教となる。
ディオクレティアヌス帝による迫害時に投獄されるが、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令により釈放された。その後は、教会復興に尽くし、異端思想と戦った。
死後、その遺体は腐敗を免れ、当初はミラに葬られた。しかし、セルジュク朝トルコの侵攻による混乱の中、パリのサン・ニコラ教会に移された。
「大勢の群衆が足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、……」(マタイ15・30)
自分の周りにいる、助けの必要な人々に気づき、主の元に伴うことができますように。