私たちの新しいパパ様となられた教皇フランシスコについて、様々な情報が流れています。ここでは特にその経歴についてまとめました。
後半は、アメリカのカトリック通信社ZENITの記事の翻訳です。
教皇フランシスコ。本名、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。
ブエノスアイレスでイタリア系移民の息子の息子として生まれました。5人兄弟(男性3人、女性2人)の4番目、父親は鉄道職員でした。
10代の時、病気のために右肺の一部を切除しています。
化学者からイエズス会の修道者となり、貧困に喘ぐ人びとのために尽くしてきました。
同性婚に関する法律を巡ってアルゼンチン政府と対立したことで知られています。
ブエノスアイレスの大司教となっても質素な生活を貫き、大司教公邸ではなくブエノスアイレス郊外のアパートに住んで自炊生活を送っていました。そこからリムジンではなく、バスや地下鉄を使って司牧に出かけていました。
大神学校時代から料理は得意で、日曜日のお昼には神学生たちのために食事を作っていたと言います。あるジャーナリストに「料理はお上手なんですか?」と聞かれ「私の料理で死んだ人はいないよ」と答えています。
好きな映画は『バベットの晩餐会』だとか。
= 追記(2013/03/14 23:00) =
新パパ様に関する追加情報です。
- アルゼンチン生まれらしく、タンゴを踊るのがお好き。
- ブエノスアイレスのサッカーチーム「CAサン・ロレンソ」のファン。
※ 写真はブエノスアイレスのカテドラル © Alexis González Molina / Wikimedia Commons
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(原文: Pope Francis’ Official Biography [ZENIT])
以下はバチカンが発表した教皇フランシスコの公式の経歴です。
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(イエズス会)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス大司教。アルゼンチンにおける東方典礼カトリック教会裁治権者。
1936年12月17日、ブエノスアイレス生まれ。
ブエノスアイレス大学で化学を専攻して学位を取った後、司祭職を志してビジャ・デボト神学校に入学。
1958年3月11日、イエズス会の修練院に入る。チリで人文科学を学び、ブエノスアイレスに戻って、サン・ミゲルの聖ヨセフ大神学院にて哲学の学位を取得。
1965年から1965年にかけて、サンタ・フェのインマコラータ・カレッジで文学と哲学を教える。1966年、同じ科目をブエノスアイレスのエル・サルバドル大学で教える。
1967年から1970年にかけて、サン・ミゲルの聖ヨセフ大神学院で神学を学び、学位を取得。
1969年司祭叙階。
1970年から1971年、第3修練期をスペインのアルカンタラ・デ・エナレスで過ごし、1973年4月22日、終生誓願を宣立。
サン・ミゲルのビジャ・バリラリ神学院で修練院長を務め、神学を教える。1973年7月31日、イエズス会のアルゼンチン管区管区長に選ばれ、6年間奉仕した。
1980年から1986年、サン・ミゲルの哲学神学部長と、サン・ミゲル司教区サン・ホセ教区主任司祭を兼務。1986年ドイツにて神学の博士号を取得。上長は彼をエル・サルバドル大学に、続いてコルドバに送り、告解師と霊的指導者として奉仕する。
1992年5月20日、ブエノスアイレス教区補佐司教に任命。
1997年6月3日、ブエノスアイレス教区協働大司教に任命され、1998年2月28日アントニオ・クァッラチーノ枢機卿の後を継いで、ブエノスアイレス教区大司教となりました。
福者ヨハネ・パウロ2世により2001年2月21日枢機卿に任命された。
2001年10月の世界代表司教会議(シノドス)第10回通常総会に参加。
2005年11月8日から2011年11月8日まで、アルゼンチン司教協議会議長を務める。
現在、以下の組織の一員となっています。
The Congregations for Divine Worship and Discipline of the Sacraments(教皇庁典礼秘跡省); for the Clergy; and for Institutes of Consecrated Life and Societies of Apostolic Life
the Pontifical Council for the Family(教皇庁家族評議会)
the Pontifical Commission for Latin America(教皇庁ラテン・アメリカ委員会)
= 関連情報 =
= 訂正(2013/03/15 19:50) =
誤)「独自典礼を持たないアルゼンチン東方典礼カトリック教会のブエノスアイレス大司教です。」
↓
正)「アルゼンチン・ブエノスアイレス大司教。アルゼンチンにおける東方典礼カトリック教会裁治権者。」
(本文は修正済みです。)